ITチート日本
「ITチート日本」
日本は、世界最大の科学技術・工業大国でもある。
ただし、平和国家のまま。
自ら侵略戦争を始めることも、領土を広げることも望んでいない。
そんな日本が今回、世界を席巻しているもの。
それは――ITだった。
「数字をもう一度言ってくれ」
ホワイトハウス。
大統領執務室で、ドナルド・グレイヴスは眉間に皺を寄せていた。
「スマートフォンOSの世界シェア、日本企業が九十二パーセントです」
「PCは?」
「八十八パーセント」
「クラウド」
「世界上位五社のうち四社が日本企業です」
「AI」
「日本です」
「半導体」
「設計、製造、製造装置とも日本企業が首位です」
グレイヴスは黙った。
国家経済会議の委員長が、恐る恐る次の資料をめくる。
「人工衛星用OSについても――」
「待て」
グレイヴスが手を上げた。
「衛星にもOSがあるのか?」
「あります」
「それも日本?」
「はい」
「…………」
数秒の沈黙。
「なんでだ!」
大統領執務室に声が響いた。
「スマートフォンは分かる! 自動車も百歩譲ろう! なぜパソコンもAIもクラウドも衛星も全部日本なんだ!」
誰も答えなかった。
答えたところで数字は変わらない。
グレイヴスは机の上に置かれたスマートフォンを手に取った。
「これは?」
側近が目を逸らした。
「日本製です」
「知っている!」
画面を指差す。
「OSだ!」
「日本製です」
「このニュースアプリ!」
「日本企業です」
「検索!」
「日本企業です」
「クラウド!」
「日本です」
「このスマホで日本から逃げられる場所はないのか!」
側近は少し考えた。
「壁紙でしたらアメリカ製の写真を設定できます」
「そういう意味じゃない!」
グレイヴスはスマートフォンを机に置いた。
壊さなかった。
高かったからではない。
気に入っていたからだ。
「アメリカ製OSを作れ」
大統領の一言に、商務長官が顔を上げる。
「開発自体は可能です」
「なら作れ」
「ただし問題があります」
「なんだ?」
「アプリです」
世界中のソフトウェア企業は、日本製OSを基準としてサービスを開発している。
金融、医療、教育、娯楽、行政。
すでに巨大な生態系が出来上がっていた。
「アメリカだけ別のOSへ移行すると、互換性の問題が発生します」
「互換性を持たせろ」
「その場合、日本側が公開している国際規格を採用することになります」
「……それはアメリカ製なのか?」
「製品はアメリカ製です」
「規格は?」
「日本発です」
グレイヴスは天井を見上げた。
「逃げられないじゃないか」
「はい」
妙に素直な返事だった。
その日の午後。
グレイヴスは日本の首相、安西晋一郎へ電話をかけた。
安西は世界最強国家の首相とは思えないほど穏やかな男だった。
人当たりがよく、滅多なことでは声を荒らげない。
グレイヴスとも長い付き合いがあり、互いにファーストネームで呼び合う仲だった。
『どうしました、ドナルド』
「シン、日本のIT企業は強すぎる」
『ありがとうございます』
「褒めてない」
『そうでしたか』
「そうだ!」
電話の向こうで安西が小さく笑った。
グレイヴスは続ける。
「アメリカ企業にもチャンスが必要だ」
『もちろんです』
グレイヴスの表情が変わった。
「本当か?」
『ええ。日本としても一国への技術集中は望ましくないと考えています』
「ほう」
『OSの主要仕様については国際標準化を進めています。海外企業も開発へ参加できる仕組みにしたいと考えています』
グレイヴスは受話器を耳から離した。
そして商務長官を見る。
「今、何と言った?」
「日本の技術を国際標準化すると」
「自分たちで作ったのに?」
「はい」
「他国企業にも開放する?」
「そのようです」
グレイヴスは再び電話へ戻った。
「シン」
『はい』
「なぜそんなことをする?」
『世界中で使うものですから』
「日本企業が独占できるだろ」
『できるでしょうね』
「なら、なぜしない?」
少しだけ間があった。
『一社や一国に依存するより、みんなで使えた方が長く残りますよ』
「……」
『相互運用性も重要です。それから第三者による監査制度についても――』
「分かった。もういい」
『そうですか?』
「十分だ」
『では、またゴルフでも』
グレイヴスの表情が少し緩んだ。
「いつだ?」
『来月あたりどうでしょう』
「空けておく」
『では』
通話が終わった。
大統領執務室が静まり返る。
グレイヴスはしばらく考え込んでいた。
やがて、勢いよく机を叩く。
「チャンスだ!」
商務長官が首を傾げた。
「はい?」
「日本は自分から技術を開放すると言っている。アメリカ企業を全部参加させろ」
「すでに多くが参加しています」
「もっとだ!」
「承知しました」
「日本企業から市場を取り戻す!」
グレイヴスは立ち上がった。
「アメリカのIT産業を復活させるぞ!」
数か月後。
アメリカ政府の巨大プロジェクトによって、新しいPC用OSが発表された。
開発企業はアメリカ。
本社もアメリカ。
エンジニアの大半もアメリカ人。
グレイヴス自ら発表会へ登壇した。
「これはアメリカIT産業復活の象徴だ!」
大歓声が上がる。
「我々は再び、自分たちの技術で未来を作る!」
さらに大きな拍手。
「日本は素晴らしい国だ。安西首相は私の大切な友人でもある。しかし、競争は競争だ! アメリカは負けない!」
会場が沸いた。
その様子をホワイトハウスで見ていた商務長官に、部下が資料を渡した。
「新OSの技術構成です」
「どうだった?」
「日本発の国際規格との互換率、九十八・七パーセント」
「……」
「AI基盤は?」
「日本企業が開発したオープン規格です」
「クラウドは?」
「日本企業二社と米国企業一社です」
「半導体は?」
「日本製です」
「開発環境は?」
「日本企業が中心となって策定した国際標準です」
商務長官はステージ上の大統領を見る。
グレイヴスは満面の笑みで拳を掲げていた。
『アメリカが帰ってきた!』
商務長官は資料を閉じた。
「……まあ、黙っておこう」
そのころ東京。
経済産業省では、日本製OSの国際標準化について会議が行われていた。
その報告書は首相官邸にも届けられていた。
安西は資料を読みながら秘書官に尋ねる。
「アメリカ企業の参加、増えた?」
「大幅に増えています」
「よかった」
「欧州企業も増えています」
「それもいいね」
「インド企業から共同開発の提案も届いています」
「ぜひ進めてもらおう」
秘書官が資料をめくる。
「ただ、このままでは日本企業が持っていた市場支配力が多少低下する可能性があります」
安西は顔を上げた。
「でも日本企業も参加するんだろ?」
「もちろんです」
「だったら競争すればいい」
「……分かりました」
安西は再び資料へ視線を落とした。
誰も世界支配について話していなかった。
誰もアメリカを倒そうとも考えていない。
ただ、自分たちが作った技術を世界中で便利に使えるようにしようとしているだけだった。
結果として――。
世界中の企業が、日本発の規格へさらに深く組み込まれていった。
夜。
ホワイトハウス。
グレイヴスのスマートフォンに通知が届く。
『日本政府、新たな国際OS標準を発表。米国企業も策定に参加』
彼は記事を読み、満足そうに笑った。
「見ろ。我々もルールを作る側に戻った」
側近が頷く。
「はい」
「日本だけの時代は終わりだ」
「はい」
グレイヴスは日本製スマートフォンをポケットにしまった。
その端末では、日本製OSが動いていた。
データは日本企業のクラウドへ同期され、通信には日本発の国際規格が使われている。
側近は何も言わなかった。
言わない方が、大統領もアメリカも幸せだった。
そのころ安西は官邸を出ようとしていた。
秘書官が追いかける。
「総理、来月の日米首脳会談ですが、グレイヴス大統領からゴルフの日程について問い合わせが来ています」
「もう?」
「英国首相との会談日程を見たようです」
安西は足を止めた。
「……日英首脳会談より長く取っておいて」
「ゴルフをですか?」
「ドナルドは、その方が機嫌がいいから」
秘書官は黙って予定表を開いた。
世界最強国家、日本。
今日も特に、世界を支配するつもりはなかった。
ただし、アメリカ大統領の機嫌を取る方法だけは、よく知っていた。
日本は、世界最大の科学技術・工業大国でもある。
ただし、平和国家のまま。
自ら侵略戦争を始めることも、領土を広げることも望んでいない。
そんな日本が今回、世界を席巻しているもの。
それは――ITだった。
「数字をもう一度言ってくれ」
ホワイトハウス。
大統領執務室で、ドナルド・グレイヴスは眉間に皺を寄せていた。
「スマートフォンOSの世界シェア、日本企業が九十二パーセントです」
「PCは?」
「八十八パーセント」
「クラウド」
「世界上位五社のうち四社が日本企業です」
「AI」
「日本です」
「半導体」
「設計、製造、製造装置とも日本企業が首位です」
グレイヴスは黙った。
国家経済会議の委員長が、恐る恐る次の資料をめくる。
「人工衛星用OSについても――」
「待て」
グレイヴスが手を上げた。
「衛星にもOSがあるのか?」
「あります」
「それも日本?」
「はい」
「…………」
数秒の沈黙。
「なんでだ!」
大統領執務室に声が響いた。
「スマートフォンは分かる! 自動車も百歩譲ろう! なぜパソコンもAIもクラウドも衛星も全部日本なんだ!」
誰も答えなかった。
答えたところで数字は変わらない。
グレイヴスは机の上に置かれたスマートフォンを手に取った。
「これは?」
側近が目を逸らした。
「日本製です」
「知っている!」
画面を指差す。
「OSだ!」
「日本製です」
「このニュースアプリ!」
「日本企業です」
「検索!」
「日本企業です」
「クラウド!」
「日本です」
「このスマホで日本から逃げられる場所はないのか!」
側近は少し考えた。
「壁紙でしたらアメリカ製の写真を設定できます」
「そういう意味じゃない!」
グレイヴスはスマートフォンを机に置いた。
壊さなかった。
高かったからではない。
気に入っていたからだ。
「アメリカ製OSを作れ」
大統領の一言に、商務長官が顔を上げる。
「開発自体は可能です」
「なら作れ」
「ただし問題があります」
「なんだ?」
「アプリです」
世界中のソフトウェア企業は、日本製OSを基準としてサービスを開発している。
金融、医療、教育、娯楽、行政。
すでに巨大な生態系が出来上がっていた。
「アメリカだけ別のOSへ移行すると、互換性の問題が発生します」
「互換性を持たせろ」
「その場合、日本側が公開している国際規格を採用することになります」
「……それはアメリカ製なのか?」
「製品はアメリカ製です」
「規格は?」
「日本発です」
グレイヴスは天井を見上げた。
「逃げられないじゃないか」
「はい」
妙に素直な返事だった。
その日の午後。
グレイヴスは日本の首相、安西晋一郎へ電話をかけた。
安西は世界最強国家の首相とは思えないほど穏やかな男だった。
人当たりがよく、滅多なことでは声を荒らげない。
グレイヴスとも長い付き合いがあり、互いにファーストネームで呼び合う仲だった。
『どうしました、ドナルド』
「シン、日本のIT企業は強すぎる」
『ありがとうございます』
「褒めてない」
『そうでしたか』
「そうだ!」
電話の向こうで安西が小さく笑った。
グレイヴスは続ける。
「アメリカ企業にもチャンスが必要だ」
『もちろんです』
グレイヴスの表情が変わった。
「本当か?」
『ええ。日本としても一国への技術集中は望ましくないと考えています』
「ほう」
『OSの主要仕様については国際標準化を進めています。海外企業も開発へ参加できる仕組みにしたいと考えています』
グレイヴスは受話器を耳から離した。
そして商務長官を見る。
「今、何と言った?」
「日本の技術を国際標準化すると」
「自分たちで作ったのに?」
「はい」
「他国企業にも開放する?」
「そのようです」
グレイヴスは再び電話へ戻った。
「シン」
『はい』
「なぜそんなことをする?」
『世界中で使うものですから』
「日本企業が独占できるだろ」
『できるでしょうね』
「なら、なぜしない?」
少しだけ間があった。
『一社や一国に依存するより、みんなで使えた方が長く残りますよ』
「……」
『相互運用性も重要です。それから第三者による監査制度についても――』
「分かった。もういい」
『そうですか?』
「十分だ」
『では、またゴルフでも』
グレイヴスの表情が少し緩んだ。
「いつだ?」
『来月あたりどうでしょう』
「空けておく」
『では』
通話が終わった。
大統領執務室が静まり返る。
グレイヴスはしばらく考え込んでいた。
やがて、勢いよく机を叩く。
「チャンスだ!」
商務長官が首を傾げた。
「はい?」
「日本は自分から技術を開放すると言っている。アメリカ企業を全部参加させろ」
「すでに多くが参加しています」
「もっとだ!」
「承知しました」
「日本企業から市場を取り戻す!」
グレイヴスは立ち上がった。
「アメリカのIT産業を復活させるぞ!」
数か月後。
アメリカ政府の巨大プロジェクトによって、新しいPC用OSが発表された。
開発企業はアメリカ。
本社もアメリカ。
エンジニアの大半もアメリカ人。
グレイヴス自ら発表会へ登壇した。
「これはアメリカIT産業復活の象徴だ!」
大歓声が上がる。
「我々は再び、自分たちの技術で未来を作る!」
さらに大きな拍手。
「日本は素晴らしい国だ。安西首相は私の大切な友人でもある。しかし、競争は競争だ! アメリカは負けない!」
会場が沸いた。
その様子をホワイトハウスで見ていた商務長官に、部下が資料を渡した。
「新OSの技術構成です」
「どうだった?」
「日本発の国際規格との互換率、九十八・七パーセント」
「……」
「AI基盤は?」
「日本企業が開発したオープン規格です」
「クラウドは?」
「日本企業二社と米国企業一社です」
「半導体は?」
「日本製です」
「開発環境は?」
「日本企業が中心となって策定した国際標準です」
商務長官はステージ上の大統領を見る。
グレイヴスは満面の笑みで拳を掲げていた。
『アメリカが帰ってきた!』
商務長官は資料を閉じた。
「……まあ、黙っておこう」
そのころ東京。
経済産業省では、日本製OSの国際標準化について会議が行われていた。
その報告書は首相官邸にも届けられていた。
安西は資料を読みながら秘書官に尋ねる。
「アメリカ企業の参加、増えた?」
「大幅に増えています」
「よかった」
「欧州企業も増えています」
「それもいいね」
「インド企業から共同開発の提案も届いています」
「ぜひ進めてもらおう」
秘書官が資料をめくる。
「ただ、このままでは日本企業が持っていた市場支配力が多少低下する可能性があります」
安西は顔を上げた。
「でも日本企業も参加するんだろ?」
「もちろんです」
「だったら競争すればいい」
「……分かりました」
安西は再び資料へ視線を落とした。
誰も世界支配について話していなかった。
誰もアメリカを倒そうとも考えていない。
ただ、自分たちが作った技術を世界中で便利に使えるようにしようとしているだけだった。
結果として――。
世界中の企業が、日本発の規格へさらに深く組み込まれていった。
夜。
ホワイトハウス。
グレイヴスのスマートフォンに通知が届く。
『日本政府、新たな国際OS標準を発表。米国企業も策定に参加』
彼は記事を読み、満足そうに笑った。
「見ろ。我々もルールを作る側に戻った」
側近が頷く。
「はい」
「日本だけの時代は終わりだ」
「はい」
グレイヴスは日本製スマートフォンをポケットにしまった。
その端末では、日本製OSが動いていた。
データは日本企業のクラウドへ同期され、通信には日本発の国際規格が使われている。
側近は何も言わなかった。
言わない方が、大統領もアメリカも幸せだった。
そのころ安西は官邸を出ようとしていた。
秘書官が追いかける。
「総理、来月の日米首脳会談ですが、グレイヴス大統領からゴルフの日程について問い合わせが来ています」
「もう?」
「英国首相との会談日程を見たようです」
安西は足を止めた。
「……日英首脳会談より長く取っておいて」
「ゴルフをですか?」
「ドナルドは、その方が機嫌がいいから」
秘書官は黙って予定表を開いた。
世界最強国家、日本。
今日も特に、世界を支配するつもりはなかった。
ただし、アメリカ大統領の機嫌を取る方法だけは、よく知っていた。