シルバーウィーク、予定どおりには参りません

 シルバーウィーク初日の朝、佐伯千紘は十九人の旅行客から、同時に違う質問を浴びせられた。
「ぶどう狩りでは、巨峰も食べ放題ですか?」
「栗拾い用の軍手は貸してもらえるの?」
「お城の天守閣まで、階段は何段あります?」
「ジャズ演奏は雨でもやるんでしょうか」
 千紘は、観光バスの前で笑顔を固めた。
 紺色のボブヘアに、からし色のジャケット。旅行会社へ入って三年目の二十五歳で、今日が初めての一人添乗だった。
 彼女が持っている旅程表には、こう書かれている。
《秋の味覚を満喫! ぶどう狩りと湖畔ランチ、陶芸体験の日帰りツアー》
 栗も城もジャズも、どこにもない。
 九月に入っても残暑が続いていたのに、今朝は急に気温が下がっていた。駅前を通り抜ける風はひんやりしており、半袖で来た客たちは腕をさすっている。
 千紘はジャケットのポケットからスマートフォンを取り出し、予約情報を確認した。
 画面を開いた瞬間、背中に冷たい汗が流れた。
 参加者十九人のうち、ぶどう狩りツアーの客は七人。
 栗拾いと城下町散策ツアーが六人。
 湖畔ジャズフェスティバルツアーが六人。
 三つのツアーが、一台のバスへまとめられている。
 受付番号はすべて《SW-3》。
 システムが「シルバーウィーク第三便」という共通番号を、同じ旅行商品だと誤認したらしい。
「どうした?」
 運転席から顔を出した川上が尋ねた。白髪交じりのベテラン運転手で、声だけはいつも穏やかだった。
 千紘は声を潜めた。
「三つのツアーが合体しています」
「豪華だな」
「事故です」
「バスは一台しかないぞ」
 千紘は営業所へ電話をかけた。
 しかし、返ってきたのは絶望的な回答だった。
 シルバーウィーク初日で、追加のバスも添乗員も空いていない。今から三つに分けることはできず、中止にするなら全員へ返金となる。
 電話を切ると、参加者たちがこちらを見ていた。
 誰もが朝早く家を出て、連休の渋滞を覚悟し、この場所まで来ている。
 一人参加の女性は新しいカメラを首から下げ、夫婦連れは揃いの帽子をかぶっていた。小学生の兄妹は、すでに栗を入れるつもりらしい大きな袋を持っている。
 千紘は深く息を吸った。
 冷たい空気が肺へ入り、眠気と一緒に迷いを押し出した。
「皆さんへ、大切なお知らせがあります」
 ざわめきが止まる。
「本日のツアーですが、予約システムの不具合により、三種類の旅行が一台へ集結しました」
 沈黙のあと、眼鏡をかけた男性が尋ねた。
「それで、我々はどこへ行くんです?」
「これから決めます」
「今?」
「はい。皆さんの希望を、可能な限り一日に詰め込みます」
 川上が運転席で小さく吹き出した。
 千紘は笑顔のまま、靴の中で足の指を丸めた。
 最初の目的地は、予定どおり観光農園にした。
 ただし、ぶどうだけでは納得しない客がいる。
 千紘が農園へ事情を説明すると、園主は少し考え、倉庫の裏を指さした。
「栗の木もあるよ。売り物にするほどじゃないけど、落ちた分なら拾っていい」
 こうして十九人は、右手にぶどう用のかご、左手に栗用の袋を持って農園へ入った。
「ぶどうを取りながら栗も探してください。ただし、上を見たまま歩くと栗を踏みます。下ばかり見ているとぶどう棚へ頭をぶつけます」
 千紘が説明すると、小学生の兄が真顔で言った。
「難易度高いね」
 開始五分で、揃いの帽子をかぶった夫婦が同時にぶどう棚へ頭をぶつけた。
 十五分後には、ぶどう狩り目当てだった客まで栗拾いに夢中になり、栗拾い目当てだった客が巨峰を三房食べていた。
「これ、意外と得じゃない?」
 誰かが言った。
 千紘は聞こえなかったふりをした。まだ城とジャズが残っている。
 次に向かったのは城下町だった。
 本来訪れる予定だった城は山の上にあり、往復だけで二時間かかる。そこで千紘は、湖へ向かう途中にある小さな郷土資料館へ電話をかけた。
 そこには、かつて周辺を治めていた城の復元模型がある。
「天守閣には登れませんが、縮尺二十分の一なので、階段は少なくて済みます」
 城目当ての客たちは不満そうだった。
 しかし、資料館へ着くと、八十歳を超える館長が待ち構えていた。
 普段は一日に数人しか来ない施設へ、突然十九人の団体客が来たのである。館長は張り切った。
 模型の屋根を外し、城の内部構造を説明し、武将の手紙を読み上げ、なぜか自宅から持ってきた甲冑まで披露した。
「質問は?」
 館長が尋ねると、栗の袋を持った小学生の妹が手を挙げた。
「お殿様は、ぶどう食べましたか?」
 館長は一秒も迷わなかった。
「食べた可能性は高い」
「栗は?」
「それも高い」
「ジャズは?」
「それは低い」
 館内に笑いが起きた。
 資料館を出る頃、空から細い雨が落ちてきた。
 朝よりさらに気温が下がり、息を吐くと、わずかに白く見える。湖畔の屋外ジャズフェスティバルは、強風のため中止になっていた。
 最後の目的まで消えた。
 千紘が中止の連絡を伝えると、参加者たちから残念そうな声が漏れた。
 その時、資料館の中から館長が追いかけてきた。
「ジャズなら、商店街の喫茶店でやっとるよ」
「今日ですか?」
「フェスティバルに出るはずだった連中が、楽器を濡らせないから店へ避難してる」
 湖畔へ行くはずだったバスは、急きょ古い商店街へ向かった。
 喫茶店の名前は「木の実」。
 十九人が入るには狭く、椅子も足りなかった。客たちは壁際や窓辺に座り、子どもたちはピアノの下へ潜り込んだ。
 店主が大鍋で作ったきのこのスープを配ってくれた。冷えた指でカップを包むと、湯気とバターの匂いが鼻先へ上がる。
 窓の外では秋雨が石畳を濡らし、街路樹から黄色い葉が一枚ずつ落ちていた。
 演奏者は四人だった。
 トランペット、ピアノ、ベース、ドラム。
 湖畔の大きな舞台も、照明もない。演奏者と客の距離は近く、トランペットを持ち上げれば、先端が天井の照明へ届きそうだった。
 最初の曲が始まると、店内の話し声が止まった。
 力強い音が狭い室内を満たし、雨音と重なる。
 千紘は入口のそばに立ち、ようやく肩の力を抜いた。
 演奏が終わると、大きな拍手が起きた。
 城目当てだった眼鏡の男性が、千紘へ言った。
「天守閣より、こっちの方が足には楽だったな」
 ぶどう狩りに来た一人参加の女性は、栗とトランペットが同じ写真へ収まるようにカメラを構えている。
 揃いの帽子の夫婦は、持ち帰ったぶどうを演奏者へ一房差し入れた。
 帰りのバスでは、全員が朝とは違う席に座っていた。
 ぶどう派、栗派、城派、ジャズ派という区別は、もうなくなっている。
 小学生の兄妹は、一番大きな栗をどちらが持ち帰るかで口論していた。
「半分に割れば?」
 千紘が言うと、妹が首を横に振った。
「家で育てる」
「栗の木になるまで、かなりかかるよ」
「次のシルバーウィークには間に合う?」
「絶対に間に合いません」
 車内に笑い声が広がった。
 駅へ戻る直前、千紘はマイクを握った。
「本日は予定変更が多く、ご迷惑をおかけしました」
 眼鏡の男性がすぐに返した。
「変更じゃなくて、最初から何も決まってなかっただろう」
「正確には、三つ決まっていました」
「欲張りな旅行だったね」
 誰かが言うと、拍手が起きた。
 営業所へ戻った千紘には、上司から電話がかかってきた。
「大丈夫だった?」
「何とか終わりました」
「参加者が写真を投稿してるよ。《シルバーウィーク全部盛りツアー》って、評判がいい」
「正式名称ではありません」
「来年の商品にできないかな?」
 千紘は間を置かず、スマートフォンから来年の休暇申請を開いた。
「その日は休みます」
「まだ日程も決まってないよ」
「今、決めました」
 電話を切ると、バスの窓を叩く音がした。
 外には、小学生の妹が立っている。
 千紘が窓を開けると、少女は拾った栗を一つ差し出した。
「これ、添乗員さんの分」
「育てる栗じゃなかったの?」
「もっと大きいのが見つかったから」
 少女は手を振り、家族のもとへ走っていった。
 千紘は手のひらの栗を見つめた。茶色い表面はつやつやしており、冷たい風の中でも、日なたに置かれていたように少し温かかった。
 予定どおりだったものは、一つもない。
 それでも、今年のシルバーウィークを思い出すたび、きっと最初に浮かぶのは、ぶどうでも城でもジャズでもない。
 一台のバスに、三つの旅行を詰め込んでしまった自分の顔だろう。
 たぶん、相当青かったはずだ。

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