世界の工場が東へ移った日
「世界の工場が東へ移った日」
チートな日本によって今回奪われたもの。
それは、中国が長年誇ってきた称号だった。
「世界の工場」
北京。
中国国家主席、習静峰は一枚の資料を無言で見つめていた。
会議室には十人を超える高官が並んでいる。
誰も口を開かない。
静峰が資料を机へ置いた。
「説明しろ」
産業担当相が立ち上がる。
「今年、日本の製造業生産額が我が国を上回りました」
「それは知っている」
「はい」
「どの程度だ」
担当相が一瞬だけ黙った。
「約二・七倍です」
静峰の眉がわずかに動いた。
「……二・七?」
「はい」
「去年はいくつだった」
「一・九倍です」
「広がっているではないか」
「はい」
「なぜだ」
担当相が資料をめくった。
「日本国内の新世代自動化工場が急速に稼働しています」
巨大スクリーンに日本の工場が映し出される。
広大な建物の中を、数千台の産業用ロボットが動いていた。
人間の姿はほとんどない。
「この工場は?」
「自動車工場です」
「従業員数は?」
「百八十二名」
静峰が画面を見る。
「一交代で?」
「全員です」
「……」
「年間生産台数は百二十万台です」
「……」
静峰は隣の側近を見る。
「数字が間違っている」
「確認しました。正確です」
再び沈黙した。
「品質は?」
「日本製ですので……」
「それは聞いていない」
「世界最高水準です」
「価格」
「中国製とほぼ同等です」
静峰は目を閉じた。
高品質。
低価格。
大量生産。
かつて日本製品には弱点があった。
品質は高い。
しかし高い。
中国はそこを突いた。
大量生産と価格競争力によって世界市場を獲得した。
ところが今の日本には、その弱点がない。
「EVは?」
「日本が世界シェア五十八パーセント」
「造船」
「日本です」
「工作機械」
「日本です」
「産業ロボット」
「日本です」
「家電」
「日本です」
「半導体」
「日本です」
「電池」
「日本です」
「スマートフォン」
「日本です」
「鉄鋼」
担当相が少し明るい顔になった。
「我が国も非常に強い競争力を維持しております」
「日本は?」
「……一位です」
「なら言うな」
「はい」
静峰は深く椅子にもたれた。
「日本は六億人だったな」
「はい」
「我が国はその倍以上いる」
「はい」
「なのになぜ、生産量で負ける?」
産業担当相が答えた。
「日本は人間が作っておりません」
静峰が顔を上げた。
「……何?」
「正確には、人間が直接製造工程に入る割合が極端に低いという意味です」
AIが生産計画を作る。
日本製工作機械が加工する。
日本製ロボットが組み立てる。
日本製カメラとAIが検品する。
日本製自動搬送車が倉庫へ運ぶ。
そして日本製物流システムが世界へ発送する。
工場そのものが、一つの巨大な機械だった。
「つまり」
静峰が呟く。
「我々は日本人と競争しているのではない?」
「はい」
担当相が小さく頷いた。
「日本の工場と競争しています」
静峰は再び目を閉じた。
その日の午後。
日本の首相、安西晋一郎との電話会談が行われた。
『お久しぶりです、静峰主席』
「安西首相」
静峰はいつも通り落ち着いた声で答えた。
「日本の製造業について聞きたい」
『どうぞ』
「中国市場への輸出が増えている」
『ありがたいことです』
「中国製品と競合している」
『それは……市場ですからね』
「少しは遠慮する気はないのか?」
数秒、沈黙した。
『……遠慮ですか?』
「いや」
静峰は額を押さえた。
「忘れてくれ」
『分かりました』
この男に言っても仕方がない。
日本政府が中国製造業を潰そうとしているわけではない。
むしろ逆だった。
『中国企業との共同生産も増やしたいと考えています』
「共同生産?」
『ええ。日本企業からも、中国国内への新規投資計画が上がっています』
「工場を中国に?」
『はい』
静峰の表情が少し変わる。
悪い話ではない。
雇用も生まれる。
技術も入る。
「どのような工場だ?」
『高度自動化工場です』
静峰の表情が戻った。
「雇用は?」
『……それなりには』
「何人だ」
『そこは企業から詳しい説明を――』
「安西首相」
『はい』
「人を雇う工場を持ってきてくれ」
電話の向こうで安西が笑った。
『努力します』
「頼む」
それが世界第二位の人口大国から、世界最大の製造国家へのお願いだった。
数日後。
上海に日本企業の巨大工場建設が発表された。
中国政府は歓迎声明を出した。
中国国内では、
「製造業復活の第一歩」
と報道された。
静峰も工場の起工式へ出席した。
日本企業の社長と握手する。
「中国経済への貢献を期待しています」
「もちろんです」
「雇用も」
「地域で約八千人を予定しています」
静峰の表情が明るくなる。
「八千人?」
「はい」
悪くない。
その夜。
側近が報告書を持ってきた。
「主席」
「なんだ」
「上海工場についてですが」
「八千人雇用するそうだな」
「はい」
「良いことだ」
「ただ、そのうち製造工程の従業員は三百人です」
静峰の動きが止まった。
「残りは?」
「研究開発、営業、物流、サービス、管理部門です」
「……」
「工場の製造工程は?」
「ほぼ完全自動化です」
静峰はしばらく黙った。
「ロボットは?」
側近も黙った。
「言え」
「日本製です」
「工作機械」
「日本製です」
「AI」
「日本製です」
「OS」
「日本製です」
「電力制御」
「日本製です」
「つまり」
静峰が静かに尋ねた。
「中国に日本の工場が一個増えただけか?」
「……はい」
静峰は窓の外を見る。
北京の夜景が広がっていた。
中国は依然として巨大国家だった。
十四億を超える人口を抱え、巨大市場を持ち、世界有数の工業力も維持している。
決して弱い国ではない。
ただ――。
隣にいる国がおかしかった。
翌朝。
静峰は経済会議を招集した。
「方針を変える」
高官たちが一斉に顔を上げる。
「日本を製造量で追い越すことだけを目標にするな」
「では、何を?」
「中国にしか作れないものを作れ」
会議室が静かになった。
「日本企業とも組め。欧州とも組め。アメリカとも組め。ただし、中国独自の技術を育てることを忘れるな」
「はい」
静峰は資料を閉じた。
「世界の工場という看板など、必要ない」
力強い言葉だった。
会議終了後。
側近が小さな声で尋ねた。
「主席」
「なんだ」
「来月、日本政府が『世界製造業フォーラム』を東京で開催するそうです」
静峰の足が止まった。
「……行く」
「よろしいので?」
「行かなければ中国企業が不利になる」
「分かりました」
「それから」
「はい」
静峰は少しだけ振り返った。
「会議名が気に入らん」
側近は何も言わなかった。
世界の工場、中国。
その称号は、もう過去のものだった。
しかし中国は消えたわけではない。
巨大な市場も、人材も、企業も残っている。
ならば、新しい場所を探せばいい。
ただ一つだけ問題がある。
その新しい場所を探すための産業AIも――。
日本製だった。
静峰はそれを知っていた。
だから、あえて誰にも言わなかった。
チートな日本によって今回奪われたもの。
それは、中国が長年誇ってきた称号だった。
「世界の工場」
北京。
中国国家主席、習静峰は一枚の資料を無言で見つめていた。
会議室には十人を超える高官が並んでいる。
誰も口を開かない。
静峰が資料を机へ置いた。
「説明しろ」
産業担当相が立ち上がる。
「今年、日本の製造業生産額が我が国を上回りました」
「それは知っている」
「はい」
「どの程度だ」
担当相が一瞬だけ黙った。
「約二・七倍です」
静峰の眉がわずかに動いた。
「……二・七?」
「はい」
「去年はいくつだった」
「一・九倍です」
「広がっているではないか」
「はい」
「なぜだ」
担当相が資料をめくった。
「日本国内の新世代自動化工場が急速に稼働しています」
巨大スクリーンに日本の工場が映し出される。
広大な建物の中を、数千台の産業用ロボットが動いていた。
人間の姿はほとんどない。
「この工場は?」
「自動車工場です」
「従業員数は?」
「百八十二名」
静峰が画面を見る。
「一交代で?」
「全員です」
「……」
「年間生産台数は百二十万台です」
「……」
静峰は隣の側近を見る。
「数字が間違っている」
「確認しました。正確です」
再び沈黙した。
「品質は?」
「日本製ですので……」
「それは聞いていない」
「世界最高水準です」
「価格」
「中国製とほぼ同等です」
静峰は目を閉じた。
高品質。
低価格。
大量生産。
かつて日本製品には弱点があった。
品質は高い。
しかし高い。
中国はそこを突いた。
大量生産と価格競争力によって世界市場を獲得した。
ところが今の日本には、その弱点がない。
「EVは?」
「日本が世界シェア五十八パーセント」
「造船」
「日本です」
「工作機械」
「日本です」
「産業ロボット」
「日本です」
「家電」
「日本です」
「半導体」
「日本です」
「電池」
「日本です」
「スマートフォン」
「日本です」
「鉄鋼」
担当相が少し明るい顔になった。
「我が国も非常に強い競争力を維持しております」
「日本は?」
「……一位です」
「なら言うな」
「はい」
静峰は深く椅子にもたれた。
「日本は六億人だったな」
「はい」
「我が国はその倍以上いる」
「はい」
「なのになぜ、生産量で負ける?」
産業担当相が答えた。
「日本は人間が作っておりません」
静峰が顔を上げた。
「……何?」
「正確には、人間が直接製造工程に入る割合が極端に低いという意味です」
AIが生産計画を作る。
日本製工作機械が加工する。
日本製ロボットが組み立てる。
日本製カメラとAIが検品する。
日本製自動搬送車が倉庫へ運ぶ。
そして日本製物流システムが世界へ発送する。
工場そのものが、一つの巨大な機械だった。
「つまり」
静峰が呟く。
「我々は日本人と競争しているのではない?」
「はい」
担当相が小さく頷いた。
「日本の工場と競争しています」
静峰は再び目を閉じた。
その日の午後。
日本の首相、安西晋一郎との電話会談が行われた。
『お久しぶりです、静峰主席』
「安西首相」
静峰はいつも通り落ち着いた声で答えた。
「日本の製造業について聞きたい」
『どうぞ』
「中国市場への輸出が増えている」
『ありがたいことです』
「中国製品と競合している」
『それは……市場ですからね』
「少しは遠慮する気はないのか?」
数秒、沈黙した。
『……遠慮ですか?』
「いや」
静峰は額を押さえた。
「忘れてくれ」
『分かりました』
この男に言っても仕方がない。
日本政府が中国製造業を潰そうとしているわけではない。
むしろ逆だった。
『中国企業との共同生産も増やしたいと考えています』
「共同生産?」
『ええ。日本企業からも、中国国内への新規投資計画が上がっています』
「工場を中国に?」
『はい』
静峰の表情が少し変わる。
悪い話ではない。
雇用も生まれる。
技術も入る。
「どのような工場だ?」
『高度自動化工場です』
静峰の表情が戻った。
「雇用は?」
『……それなりには』
「何人だ」
『そこは企業から詳しい説明を――』
「安西首相」
『はい』
「人を雇う工場を持ってきてくれ」
電話の向こうで安西が笑った。
『努力します』
「頼む」
それが世界第二位の人口大国から、世界最大の製造国家へのお願いだった。
数日後。
上海に日本企業の巨大工場建設が発表された。
中国政府は歓迎声明を出した。
中国国内では、
「製造業復活の第一歩」
と報道された。
静峰も工場の起工式へ出席した。
日本企業の社長と握手する。
「中国経済への貢献を期待しています」
「もちろんです」
「雇用も」
「地域で約八千人を予定しています」
静峰の表情が明るくなる。
「八千人?」
「はい」
悪くない。
その夜。
側近が報告書を持ってきた。
「主席」
「なんだ」
「上海工場についてですが」
「八千人雇用するそうだな」
「はい」
「良いことだ」
「ただ、そのうち製造工程の従業員は三百人です」
静峰の動きが止まった。
「残りは?」
「研究開発、営業、物流、サービス、管理部門です」
「……」
「工場の製造工程は?」
「ほぼ完全自動化です」
静峰はしばらく黙った。
「ロボットは?」
側近も黙った。
「言え」
「日本製です」
「工作機械」
「日本製です」
「AI」
「日本製です」
「OS」
「日本製です」
「電力制御」
「日本製です」
「つまり」
静峰が静かに尋ねた。
「中国に日本の工場が一個増えただけか?」
「……はい」
静峰は窓の外を見る。
北京の夜景が広がっていた。
中国は依然として巨大国家だった。
十四億を超える人口を抱え、巨大市場を持ち、世界有数の工業力も維持している。
決して弱い国ではない。
ただ――。
隣にいる国がおかしかった。
翌朝。
静峰は経済会議を招集した。
「方針を変える」
高官たちが一斉に顔を上げる。
「日本を製造量で追い越すことだけを目標にするな」
「では、何を?」
「中国にしか作れないものを作れ」
会議室が静かになった。
「日本企業とも組め。欧州とも組め。アメリカとも組め。ただし、中国独自の技術を育てることを忘れるな」
「はい」
静峰は資料を閉じた。
「世界の工場という看板など、必要ない」
力強い言葉だった。
会議終了後。
側近が小さな声で尋ねた。
「主席」
「なんだ」
「来月、日本政府が『世界製造業フォーラム』を東京で開催するそうです」
静峰の足が止まった。
「……行く」
「よろしいので?」
「行かなければ中国企業が不利になる」
「分かりました」
「それから」
「はい」
静峰は少しだけ振り返った。
「会議名が気に入らん」
側近は何も言わなかった。
世界の工場、中国。
その称号は、もう過去のものだった。
しかし中国は消えたわけではない。
巨大な市場も、人材も、企業も残っている。
ならば、新しい場所を探せばいい。
ただ一つだけ問題がある。
その新しい場所を探すための産業AIも――。
日本製だった。
静峰はそれを知っていた。
だから、あえて誰にも言わなかった。