世界で一番強い国

 世界で一番強い国はどこか。

 そんな質問をされれば、答えは決まっている。

 日本だ。

 人口、およそ六億人。
 国土は約百九十万平方キロメートル。

 経済規模はアメリカ合衆国の十倍を超え、円は世界最大の基軸通貨として、国際貿易から各国の外貨準備まで広く使われている。

 自動車、半導体、人工知能、ロボット、航空機、造船、医薬品、時計、衣料品。

 世界の主要産業の多くで日本企業が最大のシェアを持つ。

 スマートフォンもパソコンも、その多くが日本企業によって作られ、そこで動くOSまで日本製だ。

 映画館では日本資本の映画が上映され、街では日本の音楽が流れる。
 世界中の工場では日本製の産業用ロボットが働き、空を見上げれば日本製の人工衛星が飛んでいる。

 科学技術でも日本は世界の先頭を走っている。

 宇宙開発を担うJAXAは世界最大の宇宙機関となり、月面にはすでに恒久研究基地が存在する。火星への有人飛行計画も進んでいた。

 そして軍事力は、かつて世界最強と呼ばれたアメリカの、およそ十倍。

 日本に対する核攻撃は、独自の防衛技術によって完全に無力化される。

 世界中に六十を超える同盟国を持ち、その数さえアメリカを大きく上回っていた。

 人類史上、これほど多方面で他国を圧倒する国家は存在しない。

 そんな国で暮らす会社員、佐倉美咲の朝は――。

「やばっ、遅刻する!」

 世界情勢とはまったく関係なく始まった。

 二十五歳。
 東京都内のIT企業勤務。

 美咲はスマートフォンを鞄へ突っ込み、玄関を飛び出した。

 駅まで走りながら腕時計を見る。

 七時五十八分。

「あと四分!」

 世界最高精度を誇る国産時計が、残酷なほど正確に現実を教えてくる。

 駅へ駆け込み、階段を下りる。

 七時五十九分五十秒。

 電車が滑り込んできた。

「間に合った……」

 美咲は息を吐いた。

 世界最大の経済大国でも、電車は定刻に来る。

 むしろ、その辺だけは異様に厳しい。

 車内は混んでいた。

 人口が六億人になっても、東京の通勤ラッシュだけはなぜか滅びなかった。

 美咲は吊り革につかまり、スマートフォンを開く。

 ニュースのトップには、日本とアメリカの首脳会談の記事が表示されていた。

『日米首脳、同盟関係のさらなる強化で一致』

 記事の写真では、日本の首相とアメリカ大統領が握手している。

 アメリカ大統領は記者会見でこう語ったらしい。

『日本はアメリカにとって最も重要な同盟国だ。我々ほど日本と素晴らしい関係を築いている国はない』

 美咲は記事を少しスクロールした。

 その下には、

『日英首脳会談、来週開催へ』

 さらに、

『日豪安全保障協議、共同防衛体制を強化』

『カナダ首相、来月訪日へ』

 と続いている。

「日本、友達多いな」

 美咲は小さく呟いた。

 現在、日本が相互防衛条約を結んでいる国は六十を超える。

 アメリカのほぼ二倍。

 もっとも、そのアメリカ自身も日本の同盟国だった。

 画面上部に新しい速報が入った。

『アメリカ大統領、来週の日英首脳会談について「日米同盟とは比較できない」と強調』

「何を張り合ってんの」

 美咲はニュースを閉じた。

 会社に着く。

「おはよー」

「おはよう」

 同僚の奈緒がパソコンから顔を上げた。

「佐倉、今日の会議十時からね」

「分かってる」

「海外チームも入るから」

「どこ?」

「アメリカ、ドイツ、インド、ケニア」

「多いな」

「翻訳AIあるから平気でしょ」

「まあね」

 二人とも特に気にしていない。

 世界中の企業が日本企業と取引している以上、珍しいことではなかった。

 十時。

 オンライン会議が始まった。

 ニューヨーク。
 ベルリン。
 ムンバイ。
 ナイロビ。
 東京。

 五つの都市が同じ画面に並ぶ。

 会議は日本語で進められ、それぞれの端末がリアルタイムで翻訳する。

 途中、アメリカ人担当者が言った。

『決済は今回も円で?』

「はい」

『了解』

 それだけだった。

 国際取引の多くが円で行われる現在、それはドルやユーロを使うのと同じくらい、誰にとっても当たり前のことだった。

 昼休み。

 美咲は奈緒と定食屋に入った。

 テレビでは国会中継が流れている。

『総理、我が国の軍事力はすでにアメリカを大きく上回っています。それでもさらなる防衛費の増額が必要なのでしょうか』

『我が国を取り巻く安全保障環境を踏まえ、必要な防衛力を――』

「またやってる」

 奈緒が味噌汁を飲む。

「日本攻める国なんてあるの?」

「知らない」

「核も効かないんでしょ?」

「らしいね」

 二人とも興味が薄い。

 世界各国の軍事専門家が毎日のように日本の戦力を分析している一方、日本人にとって重要なのは別のことだった。

「それよりさ」

「うん」

「この定食、また値上がりしてない?」

「した。千百八十円」

「高っ」

 世界最大の経済大国。

 一人当たり所得も世界最高水準。

 それでも百円の値上げには敏感だった。

 午後三時。

 JAXAが有人火星探査船の新型エンジン試験に成功したと発表した。

 海外メディアは速報を流した。

 ニューヨーク市場が動き、ロンドン市場が動き、世界中の宇宙関連企業の株価が上昇する。

 美咲のスマートフォンにも通知が来た。

『JAXA、有人火星探査船の新型推進システム試験に成功』

「へえ」

 スワイプ。

『人気俳優・橘蓮、新ドラマ主演決定』

「えっ、マジ?」

 そちらを開いた。

 人類の火星進出は、推しには勝てなかった。

 夕方。

 仕事を終えた美咲はスーパーへ寄った。

 日本は世界最大の資源保有国でもある。

 石油、天然ガス、レアアース、鉄鉱石。

 主要資源のほぼすべてを国内で賄える。

 広大な農地と高度な農業技術によって、食料供給も安定している。

 それでも美咲は野菜売り場の前で止まった。

「キャベツ三百円……?」

 世界最大の資源国でも、キャベツは天候に左右される。

 悩んだ末、半分に切られたものを買った。

 帰宅すると、テレビでは国際ニュースが流れていた。

 中国の主席が演説している。

『日本との安定した関係は、アジアのみならず世界の平和と繁栄にとって重要である』

 続いてロシア大統領。

『我々は日本との建設的な関係を重視する』

 英国首相。

『日本は英国にとって最も重要な戦略的パートナーの一つだ』

 そして最後に、またアメリカ大統領が映った。

『一つではない。アメリカにとって日本は最も重要な同盟国だ。最も、だ』

 美咲は箸を止めた。

「まだ言ってる……」

 テレビを消す。

 窓の外には東京の夜景が広がっていた。

 世界最大の金融市場を抱え、世界中の企業と人間が集まり、地球の経済を動かしている都市。

 その遥か上空にはJAXAの宇宙ステーションが浮かんでいる。

 世界は日本を見ていた。

 日本の政策金利に注目し、日本の技術規格を採用し、日本市場を目指し、日本との関係を競っている。

 けれど、その中心で暮らしている美咲にとって、今日最大の問題はそこではない。

 冷蔵庫を開ける。

 半分のキャベツを見る。

「……明日、何作ろう」

 世界最強国家、日本。

 今日も平和だった。

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