二番目に近い国
「二番目に近い国」
日本には、海を隔てた遠い欧州に、少し変わった友人がいた。
英国である。
「首相、日本側から正式な返答が届きました」
ロンドン。
英国首相エドワード・ハリントンは、差し出された書類を受け取った。
「GCAPの追加共同開発案?」
「承認されました」
「宇宙分野は?」
「JAXAとの共同研究拡大についても合意です」
「AI?」
「新しい共同研究所をロンドンに設置する方向です」
「金融?」
「東京―ロンドン間の円建て決済基盤をさらに強化すると」
ハリントンは満足そうに紅茶を飲んだ。
「素晴らしい」
側近が資料をめくる。
「さらに安西首相から、来月訪英したいとの連絡が」
ハリントンの手が止まった。
「何日?」
「四日間です」
「アメリカには?」
「先月、三日間滞在しています」
「そうか」
ハリントンは静かにカップを置いた。
「五日にできないか聞いてみよう」
側近が顔を上げた。
「必要あります?」
「ない」
即答だった。
「ではなぜ?」
「面白いからだ」
側近は誰が面白がるのか、すぐに理解した。
太平洋の向こう。
ホワイトハウスである。
数時間後。
「シンが英国に四日!?」
ドナルド・グレイヴスの声が大統領執務室に響いた。
「予定では四日間です」
「俺の時は?」
「三日です」
「なぜだ!」
「日程上の都合かと」
「英国で四日間も何をする!」
「安全保障、GCAP、AI、宇宙、金融、科学技術――」
「多すぎる!」
グレイヴスは机を叩いた。
「アメリカとはもっとあるだろ!」
「もちろんです」
「なら次の日米首脳会談は五日だ」
「大統領の日程が――」
「空けろ」
「議会演説があります」
「ずらせ」
「無理です」
「なら六日だ!」
「増えてます」
グレイヴスは腕を組んだ。
「英国は最近、日本に近すぎる」
側近は何も答えなかった。
アメリカも十分近かったからである。
むしろ日本に最も近い国は、今でもアメリカだった。
問題はグレイヴス本人が、それを毎月確認したがることだった。
翌月。
安西晋一郎を乗せた政府専用機がロンドンへ到着した。
ハリントンは自ら出迎えた。
「ようこそ、晋一郎」
「お招きありがとうございます、エドワード」
二人は握手する。
記者のカメラが一斉に光った。
首脳会談では、安全保障から経済まで幅広い議題が扱われた。
日英共同開発の次世代戦闘機。
宇宙技術。
人工知能。
量子技術。
サイバー防衛。
金融。
大学間交流。
日本からすれば英国は欧州への重要な窓口。
英国からすれば日本は、世界最大の経済力と科学技術力を持つ友好国。
互いに利益があった。
だがハリントンには、もう一つ気に入っているところがあった。
会談後の昼食。
「晋一郎」
「はい」
「最近、日本と同盟を結びたい国が増えているそうだね」
「ありがたい話です」
「英国は少し違うと思わないか?」
安西が箸を止めた。
「違う?」
「我々は、日本が世界最強になってから近づいたわけではない」
安西が笑う。
「確かに」
「昔から付き合っている」
「ええ」
「つまり英国は古参だ」
「そういうことにしておきましょう」
ハリントンは満足そうに頷いた。
「その発言、共同声明に入れられないかな」
「入れませんよ」
「残念だ」
安西が笑った。
そこへ秘書官が近づいてくる。
「総理」
「どうした?」
「アメリカ大統領から電話です」
ハリントンが時計を見る。
「ワシントンは朝じゃないか?」
「ええ」
安西は少し考えた。
「あとで折り返すと伝えて」
「承知しました」
ハリントンが紅茶を飲む。
「出なくていいのか?」
「食事中ですから」
「そうか」
ハリントンの口元がわずかに上がった。
安西がそれを見る。
「エドワード」
「何だい?」
「今、ちょっと楽しんでません?」
「まさか」
楽しんでいた。
十分後。
ホワイトハウス。
「折り返す!?」
グレイヴスが立ち上がった。
「はい。現在ハリントン首相との昼食中とのことで」
「俺より昼食が大事なのか?」
「英国首相との公式日程です」
「何を食べている?」
「そこまでは」
「調べろ」
「なぜです?」
グレイヴスは答えなかった。
ロンドンでは午後の共同記者会見が始まっていた。
ハリントンが演壇に立つ。
「英国と日本は、地理的には遠く離れています」
少し間を置く。
「しかし安全保障、経済、科学技術、そして価値観において、これほど近い国は多くありません」
記者が質問する。
「英国は日本を欧州で最も重要なパートナーと考えていますか?」
「その通りです」
「同盟関係への発展もあり得ますか?」
ハリントンは安西を見る。
「英国としては歓迎します」
会場がざわついた。
安西がマイクへ顔を近づける。
「日英関係はすでに非常に高い水準にあります。今後も安全保障協力を着実に進めていきたいと考えています」
外交的には慎重な回答だった。
だが世界中のニュースは、
『英国、日本との同盟に意欲』
と報じた。
当然、アメリカにも届いた。
夜。
安西の電話が鳴った。
『シン』
「ドナルド」
『ニュースを見た』
「早いですね」
『英国と同盟を結ぶのか?』
「まだ何も決まってませんよ」
『だがハリントンは歓迎すると言った』
「英国側の考えでしょう」
『Americaがいるだろ』
「いますね」
『なら十分じゃないか』
安西は少し黙った。
「ドナルド」
『なんだ』
「同盟国って、一つしか持っちゃいけないものじゃないでしょう」
電話の向こうが静かになった。
『……Americaは特別か?』
安西は笑った。
「もちろんですよ」
『最重要?』
「日米同盟は日本外交・安全保障の基軸です」
『そうか』
声が明らかに明るくなった。
『なら問題ない』
「よかった」
『ところで次の訪米は何日だ?』
「三日の予定です」
『英国は四日だった』
「……」
『四日だ』
「調整します」
『五日でもいい』
「増やさなくていいです」
通話を終えた安西は、小さく息を吐いた。
隣にいたハリントンが尋ねる。
「機嫌は直ったか?」
「ええ」
「簡単だな」
「エドワード」
「何だい?」
「煽らないでください」
ハリントンは紅茶を一口飲んだ。
「善処しよう」
まったく信用できない返事だった。
翌日。
日本と英国は、新たな科学技術協力協定に署名した。
AI、宇宙、量子、航空、防衛。
両国の関係はさらに深まった。
しかし英国が日本に従属したわけではない。
日本が英国を支配したわけでもない。
英国には英国の利益があり、日本には日本の利益がある。
ただ、世界最強国家となった日本にとって――。
強くなる前から隣にいた国というものは、少し特別だった。
ロンドンを発つ直前。
ハリントンが安西に尋ねた。
「次はいつ英国へ?」
「まだ帰ってもいないですよ」
「アメリカには?」
「三か月後です」
「では、その前に来てもらおう」
「ドナルドが怒りますよ」
ハリントンは笑った。
「知っている」
安西は頭を抱えた。
世界最強国家、日本。
その外交上の最大の悩みは、敵国ではない。
友達同士が、妙に張り合うことだった。
日本には、海を隔てた遠い欧州に、少し変わった友人がいた。
英国である。
「首相、日本側から正式な返答が届きました」
ロンドン。
英国首相エドワード・ハリントンは、差し出された書類を受け取った。
「GCAPの追加共同開発案?」
「承認されました」
「宇宙分野は?」
「JAXAとの共同研究拡大についても合意です」
「AI?」
「新しい共同研究所をロンドンに設置する方向です」
「金融?」
「東京―ロンドン間の円建て決済基盤をさらに強化すると」
ハリントンは満足そうに紅茶を飲んだ。
「素晴らしい」
側近が資料をめくる。
「さらに安西首相から、来月訪英したいとの連絡が」
ハリントンの手が止まった。
「何日?」
「四日間です」
「アメリカには?」
「先月、三日間滞在しています」
「そうか」
ハリントンは静かにカップを置いた。
「五日にできないか聞いてみよう」
側近が顔を上げた。
「必要あります?」
「ない」
即答だった。
「ではなぜ?」
「面白いからだ」
側近は誰が面白がるのか、すぐに理解した。
太平洋の向こう。
ホワイトハウスである。
数時間後。
「シンが英国に四日!?」
ドナルド・グレイヴスの声が大統領執務室に響いた。
「予定では四日間です」
「俺の時は?」
「三日です」
「なぜだ!」
「日程上の都合かと」
「英国で四日間も何をする!」
「安全保障、GCAP、AI、宇宙、金融、科学技術――」
「多すぎる!」
グレイヴスは机を叩いた。
「アメリカとはもっとあるだろ!」
「もちろんです」
「なら次の日米首脳会談は五日だ」
「大統領の日程が――」
「空けろ」
「議会演説があります」
「ずらせ」
「無理です」
「なら六日だ!」
「増えてます」
グレイヴスは腕を組んだ。
「英国は最近、日本に近すぎる」
側近は何も答えなかった。
アメリカも十分近かったからである。
むしろ日本に最も近い国は、今でもアメリカだった。
問題はグレイヴス本人が、それを毎月確認したがることだった。
翌月。
安西晋一郎を乗せた政府専用機がロンドンへ到着した。
ハリントンは自ら出迎えた。
「ようこそ、晋一郎」
「お招きありがとうございます、エドワード」
二人は握手する。
記者のカメラが一斉に光った。
首脳会談では、安全保障から経済まで幅広い議題が扱われた。
日英共同開発の次世代戦闘機。
宇宙技術。
人工知能。
量子技術。
サイバー防衛。
金融。
大学間交流。
日本からすれば英国は欧州への重要な窓口。
英国からすれば日本は、世界最大の経済力と科学技術力を持つ友好国。
互いに利益があった。
だがハリントンには、もう一つ気に入っているところがあった。
会談後の昼食。
「晋一郎」
「はい」
「最近、日本と同盟を結びたい国が増えているそうだね」
「ありがたい話です」
「英国は少し違うと思わないか?」
安西が箸を止めた。
「違う?」
「我々は、日本が世界最強になってから近づいたわけではない」
安西が笑う。
「確かに」
「昔から付き合っている」
「ええ」
「つまり英国は古参だ」
「そういうことにしておきましょう」
ハリントンは満足そうに頷いた。
「その発言、共同声明に入れられないかな」
「入れませんよ」
「残念だ」
安西が笑った。
そこへ秘書官が近づいてくる。
「総理」
「どうした?」
「アメリカ大統領から電話です」
ハリントンが時計を見る。
「ワシントンは朝じゃないか?」
「ええ」
安西は少し考えた。
「あとで折り返すと伝えて」
「承知しました」
ハリントンが紅茶を飲む。
「出なくていいのか?」
「食事中ですから」
「そうか」
ハリントンの口元がわずかに上がった。
安西がそれを見る。
「エドワード」
「何だい?」
「今、ちょっと楽しんでません?」
「まさか」
楽しんでいた。
十分後。
ホワイトハウス。
「折り返す!?」
グレイヴスが立ち上がった。
「はい。現在ハリントン首相との昼食中とのことで」
「俺より昼食が大事なのか?」
「英国首相との公式日程です」
「何を食べている?」
「そこまでは」
「調べろ」
「なぜです?」
グレイヴスは答えなかった。
ロンドンでは午後の共同記者会見が始まっていた。
ハリントンが演壇に立つ。
「英国と日本は、地理的には遠く離れています」
少し間を置く。
「しかし安全保障、経済、科学技術、そして価値観において、これほど近い国は多くありません」
記者が質問する。
「英国は日本を欧州で最も重要なパートナーと考えていますか?」
「その通りです」
「同盟関係への発展もあり得ますか?」
ハリントンは安西を見る。
「英国としては歓迎します」
会場がざわついた。
安西がマイクへ顔を近づける。
「日英関係はすでに非常に高い水準にあります。今後も安全保障協力を着実に進めていきたいと考えています」
外交的には慎重な回答だった。
だが世界中のニュースは、
『英国、日本との同盟に意欲』
と報じた。
当然、アメリカにも届いた。
夜。
安西の電話が鳴った。
『シン』
「ドナルド」
『ニュースを見た』
「早いですね」
『英国と同盟を結ぶのか?』
「まだ何も決まってませんよ」
『だがハリントンは歓迎すると言った』
「英国側の考えでしょう」
『Americaがいるだろ』
「いますね」
『なら十分じゃないか』
安西は少し黙った。
「ドナルド」
『なんだ』
「同盟国って、一つしか持っちゃいけないものじゃないでしょう」
電話の向こうが静かになった。
『……Americaは特別か?』
安西は笑った。
「もちろんですよ」
『最重要?』
「日米同盟は日本外交・安全保障の基軸です」
『そうか』
声が明らかに明るくなった。
『なら問題ない』
「よかった」
『ところで次の訪米は何日だ?』
「三日の予定です」
『英国は四日だった』
「……」
『四日だ』
「調整します」
『五日でもいい』
「増やさなくていいです」
通話を終えた安西は、小さく息を吐いた。
隣にいたハリントンが尋ねる。
「機嫌は直ったか?」
「ええ」
「簡単だな」
「エドワード」
「何だい?」
「煽らないでください」
ハリントンは紅茶を一口飲んだ。
「善処しよう」
まったく信用できない返事だった。
翌日。
日本と英国は、新たな科学技術協力協定に署名した。
AI、宇宙、量子、航空、防衛。
両国の関係はさらに深まった。
しかし英国が日本に従属したわけではない。
日本が英国を支配したわけでもない。
英国には英国の利益があり、日本には日本の利益がある。
ただ、世界最強国家となった日本にとって――。
強くなる前から隣にいた国というものは、少し特別だった。
ロンドンを発つ直前。
ハリントンが安西に尋ねた。
「次はいつ英国へ?」
「まだ帰ってもいないですよ」
「アメリカには?」
「三か月後です」
「では、その前に来てもらおう」
「ドナルドが怒りますよ」
ハリントンは笑った。
「知っている」
安西は頭を抱えた。
世界最強国家、日本。
その外交上の最大の悩みは、敵国ではない。
友達同士が、妙に張り合うことだった。