海峡を閉じても、日本は困らない

「海峡を閉じても、日本は困らない」

 ホルムズ海峡が封鎖された。
「封鎖を確認しました」
 首相官邸。
 安西晋一郎は、巨大モニターに映し出されたペルシャ湾の地図を見つめていた。
 赤い線がホルムズ海峡を塞いでいる。
「船は?」
「ほぼ停止しています。保険料も急騰。原油とLNG価格はすでに上昇しています」
「日本向けは?」
 官僚が一瞬だけ資料を見る。
「特に問題ありません」
「……ないの?」
「はい」
 日本国内の石油備蓄は十分。
 そもそも日本は、石油も天然ガスも国内に大量に存在する。
 必要なら増産できる。
「電気料金への影響は?」
「限定的です」
「ガソリン」
「ほぼありません」
「工場」
「通常稼働できます」
 安西は腕を組んだ。
「じゃあ、困ってるのは?」
「世界です」
「だよね」
 そこだった。
 日本が困らなくても、世界は困る。
 原油価格が上がれば欧州もアジアも苦しくなる。
 物流費が上がれば、日本企業の海外拠点にも影響する。
 世界最大の経済大国である以上、
 外国の問題だから知らない
 では済まなかった。
「イラン政府に電話を」
「はい」
「アメリカにも」
「グレイヴス大統領ですね」
「たぶん向こうから先に来るよ」
 電話が鳴った。
 安西が少し笑った。
「ほら」
 受話器を取る。
『シン!』
「ドナルド」
『イランが海峡を閉じた!』
「知っています」
『許されない! アメリカは必要な行動を取る!』
「何する気です?」
『あらゆる選択肢がある!』
 安西は額を押さえた。
 この男が「あらゆる選択肢」と言う時は、大抵ろくなことにならない。
「まず話しましょう」
『何を話す! 海峡を開ければいいだけだ!』
「それを私からも言います」
『シン』
「はい」
『日本は困ってないんだろ?』
 安西は少し黙った。
「まあ……日本だけなら」
『やっぱり!』
「でも世界は困っています」
『なら一緒に海峡を開けよう!』
「その『開けよう』が何を意味してるのか怖いんですよ」
 電話の向こうが静かになった。
『……艦隊を送る』
「送るんですね」
『送る』
「攻撃は待ってください」
『何日だ?』
「まず七十二時間」
『長い!』
「三日ですよ」
『二十四時間』
「ドナルド」
『四十八』
「七十二」
『シン』
「七十二」
 数秒。
『……分かった』
 交渉成立。
 なぜか市場の取引みたいになった。
 その直後。
 テヘラン。
 イラン政府の会議室では、別の問題が議論されていた。
「日本の反応は?」
「海峡の即時開放を要求しています」
「日本経済への影響は?」
「……ほぼありません」
「原油価格は上がっているだろう」
「日本国内では限定的です」
「LNGは?」
「同様です」
「なぜだ」
 誰も答えなかった。
 答えは全員知っている。
 日本にはある。
 石油も。
 天然ガスも。
 鉱物も。
 何でもある。
 最高指導部の一人が低い声で尋ねた。
「では、我々は何を止めた?」
 側近が答える。
「主に欧州、アジア諸国へのエネルギー輸送です」
「日本は?」
「通常通りです」
 沈黙。
「……腹立たしいな」
 誰も否定しなかった。
 そこへ連絡が入る。
「日本の安西首相からです」
 数分後。
 安西の声が会議室に流れた。
『海峡を開放してください』
 イラン側代表が答える。
「我々には自国を守る権利がある」
『もちろんです』
「ならば――」
『でも民間船舶を止めることとは別でしょう』
「アメリカが我々を攻撃している」
『アメリカには七十二時間、攻撃を待つよう求めました』
 イラン側が黙った。
「……アメリカが応じたのか?」
『ええ』
「グレイヴスが?」
『かなり揉めましたけど』
「……」
 少しだけ空気が変わった。
 安西が続ける。
『イラン側にも同じことをお願いします』
「何を?」
『七十二時間、攻撃を止める。海峡を民間船舶へ開放する。そして交渉する』
「拒否した場合は?」
 安西はすぐには答えなかった。
『日本としては、航行の安全を確保する必要があります』
 その言葉だけだった。
 脅しではない。
 軍事行動という言葉もない。
 だが会議室にいる全員が、日本海軍の規模を知っていた。
 アメリカ海軍より遥かに強い。
 核兵器も日本には効かない。
 しかもペルシャ湾の石油を止めても、日本は困らない。
「……検討する」
『お願いします』
 電話が切れた。
 イラン側代表が椅子にもたれた。
「妙な国だ」
「日本ですか?」
「あれだけの力があるなら、普通は命令する」
「はい」
「なのに毎回、お願いしてくる」
 側近が小さく答えた。
「断れるお願いではありませんが」
「それを言うな」
 数時間後。
 東京市場。
 原油価格が急落した。
 速報が流れる。
『イラン、民間船舶に対するホルムズ海峡の限定的通航再開を発表』
 官邸に拍手はなかった。
 安西は報告書を読み、ただ頷いた。
「よかった」
 官房長官が言う。
「アメリカ政府から連絡です」
「ドナルド?」
「はい」
 また電話が鳴る。
『シン! うまくいった!』
「そうですね」
『私が七十二時間待ったからだ!』
「ありがとうございます」
『これは日米の勝利だ!』
「勝ち負けではないですよ」
『いや勝利だ!』
 安西は諦めた。
「じゃあ、それでいいです」
『ところで英国は何かしたのか?』
「……そこ?」
『何かしたのか?』
「外交的に支持してくれました」
『Americaは艦隊を出した』
「はい」
『Americaの方が重要だったな?』
 安西は天井を見た。
 海峡危機が一段落したと思ったら、別の問題が始まった。
「ドナルド」
『なんだ?』
「日米同盟は日本外交の基軸です」
『そうか!』
 一瞬で機嫌が直った。
 通話を終えた安西は椅子にもたれた。
「疲れた……」
 官房長官が笑う。
「イランとの交渉ですか?」
「いや」
 安西は机の上の電話を見る。
「アメリカ」
 世界最強国家、日本。
 ホルムズ海峡が閉じても、石油には困らなかった。
 軍事力にも困らない。
 金にも困らない。
 技術にも困らない。
 それでも世界との関係だけは、一国ではどうにもならない。
 だから日本は今日も話し続ける。
 敵とも。
 友人とも。
 そして時々――。
 妙に嫉妬深い同盟国とも。

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