石油を持っているのに、石油を買う国
「石油を持っているのに、石油を買う国」
日本には――。
石油、天然ガス、鉄鉱石、銅、ウラン、リチウム、レアアース。
現在の世界全体に匹敵するほどの天然資源が眠っている。
日本はその気になれば、外国から資源を一滴も買わずに生きていける。
しかし日本の港には今日も、中東から原油タンカーがやって来る。
世界の資源国にとって、それは少し不思議な光景だった。
リヤド。
サウジアラビア皇太子兼首相、ファイサル・アル=ラシードは、一枚の資料を眺めていた。
「日本の原油輸入量は?」
エネルギー相が答える。
「ほぼ前年並みです」
「我が国からは?」
「長期契約分をすべて購入しています」
「契約更新は?」
「日本側から更新したいと」
ファイサルは資料から顔を上げた。
「なぜだ?」
「……」
誰も答えない。
「日本には石油がある」
「はい」
「我が国より多い」
「埋蔵量だけなら、比較にならないかと」
「天然ガスも?」
「あります」
「ウラン」
「あります」
「レアアース」
「あります」
「何ならないんだ?」
エネルギー相が少し考えた。
「……あまり思いつきません」
ファイサルは椅子にもたれた。
「気味が悪いな」
サウジにとって石油は、単なる商品ではない。
国家そのものを作ってきた資源だ。
それを世界最大の経済大国が必要としない。
普通なら、悪夢だった。
日本が国内油田を全面開発し、余剰原油を世界市場へ流せばどうなるか。
供給量は跳ね上がる。
価格は暴落する。
サウジだけではない。
UAE。
カタール。
ノルウェー。
ロシア。
世界中の資源国が打撃を受ける。
だが日本は――。
やらなかった。
国内油田の多くは手つかずのまま。
必要量だけを採掘し、残りは地下に眠らせている。
そして海外から資源を買い続けている。
「日本政府の公式説明は?」
「供給源の多様化です」
「建前だろう」
「もう一つあります」
「何だ」
「資源国との長期的な関係を維持するため、と」
ファイサルが眉を上げた。
「関係?」
「はい」
「石油を買う理由が?」
「我が国との関係です」
ファイサルはしばらく黙った。
「……本人に聞こう」
東京。
首相官邸。
今回は電話ではなかった。
ファイサル自身が来日していた。
安西晋一郎との会談が終わり、昼食の席へ移る。
ファイサルは前菜が運ばれるのを待たずに尋ねた。
「晋一郎。一つ聞きたい」
「どうぞ」
「なぜ我々から石油を買う?」
安西が少し首を傾げる。
「売ってくれるからです」
「……」
「違いました?」
「そういう話ではない」
ファイサルが身を乗り出した。
「日本には石油がある」
「ありますね」
「大量に」
「あります」
「日本だけで百年以上使えるほど」
「もっとあると思います」
「なら、なぜ買う?」
安西は少し考えた。
「全部、自分で作る必要あります?」
ファイサルの眉が動く。
「日本がサウジから石油を買う」
安西が続ける。
「サウジは日本から自動車や機械を買う。日本企業がサウジへ投資する。サウジ企業も日本へ投資する」
「……」
「その方が、お互い相手が大事になるでしょう」
ファイサルは黙った。
安西は水を一口飲む。
「石油が必要だからサウジと付き合う、という関係なら、日本に石油が見つかった瞬間に終わってしまいます」
「では?」
「サウジと付き合いたいから、石油も買う」
ファイサルは安西を見る。
数秒後。
「お前は時々、商売が下手なのか上手いのか分からんな」
安西が笑った。
「よく言われます」
翌日。
東京で日・サウジ資源協議が開かれた。
日本側は新しい長期契約を提示した。
十年間。
一定量の原油を継続購入する。
価格は市場連動。
極端な価格変動が起きた場合には双方で調整する。
その代わりサウジ側は、日本への安定供給を保証する。
そして石油だけではなかった。
日本企業による、
海水淡水化設備。
AI都市管理。
医療。
自動運転。
太陽光発電。
原子力。
水素。
農業。
巨大な投資計画が並ぶ。
ファイサルが資料を見る。
「石油がなくなった後まで考えているのか?」
日本側担当者が答える。
「そのつもりです」
「我々は石油を売る国だぞ」
「今は」
ファイサルが顔を上げる。
担当者は少し焦った。
「失礼しました」
ファイサルは笑った。
「いや」
資料を閉じる。
「悪くない」
そのころ。
キャンベラ。
オーストラリア政府にも似たような疑問があった。
「日本、鉄鉱石まだ買ってる?」
「買っています」
「LNG」
「買っています」
「リチウム」
「買っています」
「全部、日本にもあるよな?」
「あります」
「……ありがたいけど怖いな」
豪州首相は資料を見る。
日本が本気で国内資源へ切り替えれば、豪州経済にも大きな影響が出る。
だが日本は長期契約を維持している。
さらに日本企業は豪州国内で、
製鉄。
水素。
電池。
AIデータセンター。
資源加工。
などへの投資を増やしていた。
豪州首相が呟く。
「資源だけ買って帰らないのが、日本なんだよな」
モスクワ。
ヴォルコフのもとにも、日本の資源政策について報告が届いていた。
「日本国内の天然ガス生産能力は?」
「ロシアの輸出量を大きく上回ります」
「石油」
「同様です」
「なのに輸入している」
「はい」
ヴォルコフは資料を置いた。
「賢いな」
側近が意外そうな顔をする。
「日本がですか?」
「国内資源を温存しながら、外国の資源を買う」
「はい」
「相手国との関係も維持できる」
「はい」
「危機になれば国内生産を増やす」
「その計画です」
ヴォルコフは腕を組んだ。
「しかも」
「?」
「日本は資源価格を暴落させる能力を持っている」
側近が黙った。
日本が大量の原油と天然ガスを市場へ流せば、ロシア財政にも巨大な打撃が出る。
「しかし、やらない」
「はい」
「なぜでしょう」
ヴォルコフは側近を見る。
「やった瞬間、日本も信用を失うからだ」
「……」
「力を持つことと、使うことは違う」
側近が頷いた。
ヴォルコフは資料を閉じる。
「だから日本との資源契約は続けろ」
「日本には必要ありませんが」
「だからいい」
「?」
「必要だから買う相手は、必要なくなれば去る」
ヴォルコフは窓の外を見る。
「必要ないのに買う相手の方が、長く付き合える」
数か月後。
中東で小規模な軍事衝突が発生した。
原油価格が急騰。
世界市場が動揺する。
サウジの生産設備にも一部影響が出た。
日本政府は、その日のうちに発表した。
国内原油生産量を一時的に三倍へ引き上げる。
同時に、
国家備蓄の一部を世界市場へ放出する。
ただし、量は価格を暴落させない範囲。
目的は一つ。
不足分を埋める。
東京市場で原油価格の上昇が止まった。
ロンドン。
ニューヨーク。
シンガポール。
世界の市場も落ち着き始める。
リヤド。
ファイサルは価格チャートを見ていた。
「日本は増産した」
「はい」
「我々からの輸入は?」
「契約分については受け入れを継続すると」
「国内だけで足りるのに?」
「はい」
ファイサルは笑った。
「なるほど」
ようやく理解した。
日本が地下に眠らせている資源は、他国を潰すための武器ではない。
世界が足りなくなった時に埋めるための余白。
それが日本の考え方だった。
危機が収まった数週間後。
日本は国内生産量を元に戻した。
世界市場へ流していた原油も止めた。
価格は危機前の水準へ近づく。
資源国の収入も戻る。
日本は世界最大の産油国になれる。
だが、ならなかった。
世界最大の天然ガス輸出国にもなれる。
だが、ならなかった。
資源市場を支配することもできる。
それもしなかった。
再び東京。
ファイサルと安西が夕食を取っていた。
「晋一郎」
「はい」
「日本は奇妙な国だ」
「最近、外国の人からそればかり言われます」
「世界で最も資源を持っているのに、世界で最も資源を売る国になろうとしない」
「売りすぎたら値段が下がるでしょう」
「我々への配慮か?」
「それもあります」
「他には?」
安西が少し考える。
「地下に置いておけば、腐りませんから」
ファイサルが吹き出した。
「石油を貯金扱いするな」
「だいたい同じでしょう」
「違う」
二人が笑う。
少しして、ファイサルが真顔に戻った。
「十年契約」
「はい」
「サウジは守る」
安西も頷く。
「日本も守ります」
握手はしなかった。
もう昨日済ませていた。
ただ二人で食事を続けた。
世界最強国家、日本。
石油を持っている。
天然ガスも持っている。
鉱物もある。
何でもある。
だからこそ、日本は学んでいた。
持っていることと、独り占めすることは違う。
そして資源を買うという行為は、単なる取引ではない。
海の向こうに、
「あなたの国がこれからも必要だ」
と伝える方法でもあった。
日本には――。
石油、天然ガス、鉄鉱石、銅、ウラン、リチウム、レアアース。
現在の世界全体に匹敵するほどの天然資源が眠っている。
日本はその気になれば、外国から資源を一滴も買わずに生きていける。
しかし日本の港には今日も、中東から原油タンカーがやって来る。
世界の資源国にとって、それは少し不思議な光景だった。
リヤド。
サウジアラビア皇太子兼首相、ファイサル・アル=ラシードは、一枚の資料を眺めていた。
「日本の原油輸入量は?」
エネルギー相が答える。
「ほぼ前年並みです」
「我が国からは?」
「長期契約分をすべて購入しています」
「契約更新は?」
「日本側から更新したいと」
ファイサルは資料から顔を上げた。
「なぜだ?」
「……」
誰も答えない。
「日本には石油がある」
「はい」
「我が国より多い」
「埋蔵量だけなら、比較にならないかと」
「天然ガスも?」
「あります」
「ウラン」
「あります」
「レアアース」
「あります」
「何ならないんだ?」
エネルギー相が少し考えた。
「……あまり思いつきません」
ファイサルは椅子にもたれた。
「気味が悪いな」
サウジにとって石油は、単なる商品ではない。
国家そのものを作ってきた資源だ。
それを世界最大の経済大国が必要としない。
普通なら、悪夢だった。
日本が国内油田を全面開発し、余剰原油を世界市場へ流せばどうなるか。
供給量は跳ね上がる。
価格は暴落する。
サウジだけではない。
UAE。
カタール。
ノルウェー。
ロシア。
世界中の資源国が打撃を受ける。
だが日本は――。
やらなかった。
国内油田の多くは手つかずのまま。
必要量だけを採掘し、残りは地下に眠らせている。
そして海外から資源を買い続けている。
「日本政府の公式説明は?」
「供給源の多様化です」
「建前だろう」
「もう一つあります」
「何だ」
「資源国との長期的な関係を維持するため、と」
ファイサルが眉を上げた。
「関係?」
「はい」
「石油を買う理由が?」
「我が国との関係です」
ファイサルはしばらく黙った。
「……本人に聞こう」
東京。
首相官邸。
今回は電話ではなかった。
ファイサル自身が来日していた。
安西晋一郎との会談が終わり、昼食の席へ移る。
ファイサルは前菜が運ばれるのを待たずに尋ねた。
「晋一郎。一つ聞きたい」
「どうぞ」
「なぜ我々から石油を買う?」
安西が少し首を傾げる。
「売ってくれるからです」
「……」
「違いました?」
「そういう話ではない」
ファイサルが身を乗り出した。
「日本には石油がある」
「ありますね」
「大量に」
「あります」
「日本だけで百年以上使えるほど」
「もっとあると思います」
「なら、なぜ買う?」
安西は少し考えた。
「全部、自分で作る必要あります?」
ファイサルの眉が動く。
「日本がサウジから石油を買う」
安西が続ける。
「サウジは日本から自動車や機械を買う。日本企業がサウジへ投資する。サウジ企業も日本へ投資する」
「……」
「その方が、お互い相手が大事になるでしょう」
ファイサルは黙った。
安西は水を一口飲む。
「石油が必要だからサウジと付き合う、という関係なら、日本に石油が見つかった瞬間に終わってしまいます」
「では?」
「サウジと付き合いたいから、石油も買う」
ファイサルは安西を見る。
数秒後。
「お前は時々、商売が下手なのか上手いのか分からんな」
安西が笑った。
「よく言われます」
翌日。
東京で日・サウジ資源協議が開かれた。
日本側は新しい長期契約を提示した。
十年間。
一定量の原油を継続購入する。
価格は市場連動。
極端な価格変動が起きた場合には双方で調整する。
その代わりサウジ側は、日本への安定供給を保証する。
そして石油だけではなかった。
日本企業による、
海水淡水化設備。
AI都市管理。
医療。
自動運転。
太陽光発電。
原子力。
水素。
農業。
巨大な投資計画が並ぶ。
ファイサルが資料を見る。
「石油がなくなった後まで考えているのか?」
日本側担当者が答える。
「そのつもりです」
「我々は石油を売る国だぞ」
「今は」
ファイサルが顔を上げる。
担当者は少し焦った。
「失礼しました」
ファイサルは笑った。
「いや」
資料を閉じる。
「悪くない」
そのころ。
キャンベラ。
オーストラリア政府にも似たような疑問があった。
「日本、鉄鉱石まだ買ってる?」
「買っています」
「LNG」
「買っています」
「リチウム」
「買っています」
「全部、日本にもあるよな?」
「あります」
「……ありがたいけど怖いな」
豪州首相は資料を見る。
日本が本気で国内資源へ切り替えれば、豪州経済にも大きな影響が出る。
だが日本は長期契約を維持している。
さらに日本企業は豪州国内で、
製鉄。
水素。
電池。
AIデータセンター。
資源加工。
などへの投資を増やしていた。
豪州首相が呟く。
「資源だけ買って帰らないのが、日本なんだよな」
モスクワ。
ヴォルコフのもとにも、日本の資源政策について報告が届いていた。
「日本国内の天然ガス生産能力は?」
「ロシアの輸出量を大きく上回ります」
「石油」
「同様です」
「なのに輸入している」
「はい」
ヴォルコフは資料を置いた。
「賢いな」
側近が意外そうな顔をする。
「日本がですか?」
「国内資源を温存しながら、外国の資源を買う」
「はい」
「相手国との関係も維持できる」
「はい」
「危機になれば国内生産を増やす」
「その計画です」
ヴォルコフは腕を組んだ。
「しかも」
「?」
「日本は資源価格を暴落させる能力を持っている」
側近が黙った。
日本が大量の原油と天然ガスを市場へ流せば、ロシア財政にも巨大な打撃が出る。
「しかし、やらない」
「はい」
「なぜでしょう」
ヴォルコフは側近を見る。
「やった瞬間、日本も信用を失うからだ」
「……」
「力を持つことと、使うことは違う」
側近が頷いた。
ヴォルコフは資料を閉じる。
「だから日本との資源契約は続けろ」
「日本には必要ありませんが」
「だからいい」
「?」
「必要だから買う相手は、必要なくなれば去る」
ヴォルコフは窓の外を見る。
「必要ないのに買う相手の方が、長く付き合える」
数か月後。
中東で小規模な軍事衝突が発生した。
原油価格が急騰。
世界市場が動揺する。
サウジの生産設備にも一部影響が出た。
日本政府は、その日のうちに発表した。
国内原油生産量を一時的に三倍へ引き上げる。
同時に、
国家備蓄の一部を世界市場へ放出する。
ただし、量は価格を暴落させない範囲。
目的は一つ。
不足分を埋める。
東京市場で原油価格の上昇が止まった。
ロンドン。
ニューヨーク。
シンガポール。
世界の市場も落ち着き始める。
リヤド。
ファイサルは価格チャートを見ていた。
「日本は増産した」
「はい」
「我々からの輸入は?」
「契約分については受け入れを継続すると」
「国内だけで足りるのに?」
「はい」
ファイサルは笑った。
「なるほど」
ようやく理解した。
日本が地下に眠らせている資源は、他国を潰すための武器ではない。
世界が足りなくなった時に埋めるための余白。
それが日本の考え方だった。
危機が収まった数週間後。
日本は国内生産量を元に戻した。
世界市場へ流していた原油も止めた。
価格は危機前の水準へ近づく。
資源国の収入も戻る。
日本は世界最大の産油国になれる。
だが、ならなかった。
世界最大の天然ガス輸出国にもなれる。
だが、ならなかった。
資源市場を支配することもできる。
それもしなかった。
再び東京。
ファイサルと安西が夕食を取っていた。
「晋一郎」
「はい」
「日本は奇妙な国だ」
「最近、外国の人からそればかり言われます」
「世界で最も資源を持っているのに、世界で最も資源を売る国になろうとしない」
「売りすぎたら値段が下がるでしょう」
「我々への配慮か?」
「それもあります」
「他には?」
安西が少し考える。
「地下に置いておけば、腐りませんから」
ファイサルが吹き出した。
「石油を貯金扱いするな」
「だいたい同じでしょう」
「違う」
二人が笑う。
少しして、ファイサルが真顔に戻った。
「十年契約」
「はい」
「サウジは守る」
安西も頷く。
「日本も守ります」
握手はしなかった。
もう昨日済ませていた。
ただ二人で食事を続けた。
世界最強国家、日本。
石油を持っている。
天然ガスも持っている。
鉱物もある。
何でもある。
だからこそ、日本は学んでいた。
持っていることと、独り占めすることは違う。
そして資源を買うという行為は、単なる取引ではない。
海の向こうに、
「あなたの国がこれからも必要だ」
と伝える方法でもあった。