秋晴れ、今週も欠品中

 十月に入ってから、雨の降らなかった日は片手で数えられた。
 宮田結衣のくせ毛は、朝の天気予報より正確だった。湿気を吸うと毛先が勝手に外へ跳ねる。今朝は左右合わせて八方向に広がっている。
 つまり、今日も雨だった。
 「表紙の写真、まだ?」
 地域情報誌『こまち日和』の編集長、黒田が隣の机から顔を出した。
 「空に聞いてください」
 「締め切りは空じゃなくて、明日の正午」
 結衣はパソコンの横に貼った企画書を見た。
 《十一月号表紙 秋晴れの銀杏通り》
 駅前から続く銀杏並木と、毎週土曜に開かれる朝市を撮影する予定だった。青空の下、黄色い葉が舞い、買い物客が笑っている。そんな写真を想定して、表紙の見出しまで先に決まっている。
 ところが、最初の撮影日は朝から本降りになった。
 二度目は曇りの予報だったのに、カメラを構えた瞬間に降り出した。
 三度目は晴れマークを信じて集合したが、八百屋が野菜を並べ終える前に通り雨が来た。
 その時、透明傘へ落ちた雨粒が光ってきれいだと思い、結衣は試しに数枚撮った。しかし、前列にいた豆腐店の主人が大きなくしゃみをして、隣のパン屋の看板を倒した。写真には驚く人々と、宙を舞うメロンパンだけが残った。
 銀杏は待ってくれない。
 黄色くなる前は雨に濡れ、色づいたと思ったら強風で落ちた。今では枝の上より、歩道の端の方がにぎやかである。
 「今日が最後の撮影日ね」と黒田が言った。
 「雨です」
 「見れば分かる」
 「午後から強くなります」
 「予報まで読めるの?」
 「髪がそう言ってます」
 黒田は結衣の頭を見て、納得したように頷いた。
 朝市の開始は午前十時。
 結衣が銀杏通りへ着くと、店主たちは軒下から空を見ていた。魚屋の剛は長靴姿で腕を組み、パン屋の佐代子は濡れないように商品を店内へ寄せている。
 「また延期?」
 剛が聞いた。
 「もう延期できません。今日、撮ります」
 「この天気で秋晴れを?」
 「見出しはあとで考えます」
 結衣はカメラへ防水カバーをかけ、商店街の入口に脚立を置いた。
 雨は細い。それでも途切れない。傘を差さなければ十分で肩が濡れ、差せば顔が隠れるという、撮影には最も面倒な降り方だった。
 まず、店主たちへ傘を閉じてもらった。
 三十秒後、全員の表情が険しくなった。
 「笑ってください!」
 「寒い!」
 「あと少しです!」
 「さっきから、そのあと少しが長い!」
 佐代子の前髪から水滴が落ちた。剛の白いエプロンには、銀杏の葉が一枚貼りついている。
 そこへ、黄色い傘を差した小学生の莉子が通りかかった。
 「何してるの?」
 「秋らしい写真を撮ってるの」
 莉子は濡れた店主たちを眺めた。
 「風邪ひきそうな写真だね」
 子どもは正しい。
 結衣は撮影を中断し、店主たちへ軒下へ戻るよう頼んだ。
 パソコンで確認すると、空は白く、銀杏の黄色も雨に沈んで見える。何より、全員が寒さに耐える訓練を受けているような顔だった。
 「青空だけ、あとで足したら?」
 剛が軽く言った。
 「それをやると、雨の中で震えた皆さんの努力が無駄になります」
 「もう十分無駄になってない?」
 結衣は返事をせず、通りを見渡した。
 濡れた歩道には、黄色い銀杏の葉が何枚も張りついている。店の赤いひさしや、青果店の緑の箱が水たまりへ映っていた。焼き栗の屋台からは白い湯気が上がり、傘を差した客がその前で足を止めている。
 晴れた日に撮ろうとしていた景色とは違う。
 けれど、秋が消えたわけではなかった。
 結衣は商店街の連絡用チャットを開いた。
 《午前十一時、雨天のまま表紙撮影をします。傘を持って銀杏通りへ来てください。色も形も問いません》
 黒田から、すぐに返信が来た。
 《開き直った?》
 《方針転換です》
 最初に来たのは、莉子とその友達三人だった。黄色、桃色、水色の傘が並ぶ。
 次に、近所の美容室の店員たちが、透明傘へ色紙の葉を貼って現れた。
 金物店の主人は、売り物の中で一番大きなゴルフ傘を持ってきた。和菓子店の女将は紫色の蛇の目傘を差し、クリーニング店の夫婦は、引き取り手のない傘を六本も抱えてきた。
 十五分後、銀杏通りには五十人近くが集まっていた。
 「こんなに呼んでません!」
 「傘を持って来いって言っただろ」
 「一人一本の想定です!」
 剛は右手に透明傘、左手に子ども用の恐竜柄を持っていた。
 雨脚が少し強くなった。
 傘同士がぶつかり、前へ出ようとした人が後ろへ押し戻される。金物店のゴルフ傘は大きすぎて、三人分の顔を完全に隠した。
 結衣は脚立の上から声を張った。
 「背の高い人は後ろ! 透明傘は前! ゴルフ傘は閉じてください!」
 「雨が降ってるのに?」
 「存在感が強すぎます!」
 ようやく並び終えたところで、風が吹いた。
 恐竜柄の傘が裏返り、持っていた剛が慌てて追いかける。莉子たちは腹を抱えて笑い、佐代子もつられて顔をほころばせた。
 その時、焼き栗の釜から白い蒸気が大きく上がった。
 風に舞った銀杏の葉が、色とりどりの傘の上へ降りる。
 結衣はシャッターを切った。
 一枚。
 二枚。
 三枚。
 誰にも姿勢を直すよう言わなかった。
 恐竜の傘を捕まえた剛が得意そうに掲げ、子どもたちが指を差して笑っている。蛇の目傘の女将は隣の人へ半分場所を譲り、パン屋の佐代子は濡れた前髪のまま、焼き栗を一つ頬張っていた。
 雨粒で歩道が光り、銀杏通り全体が少しだけ明るく見えた。
 翌日の正午。
 『こまち日和』十一月号の表紙が完成した。
 青空は、どこにもない。
 黄色い銀杏と、色とりどりの傘。雨の中で笑う商店街の人たち。
 見出しは、《秋晴れの銀杏通り》から変更された。
 《秋雨だって、買い物日和》
 黒田は完成した画面を眺めた。
 「晴れを待たなくて正解だったね」
 「待っても来ませんでしたから」
 「でも、明日から一週間、全部晴れ予報だよ」
 結衣のくせ毛は、今日はきれいに内側へ収まっていた。
 雑誌が店頭へ並んだ土曜日、空は腹が立つほど青かった。
 銀杏通りには、表紙を見て訪れた客が集まっていた。晴れているのに、何人かは写真と同じ傘を持っている。
 莉子は黄色い傘を開いたまま、結衣へ駆け寄ってきた。
 「今日は撮らないの?」
 「雨、降ってないよ」
 「傘の写真、人気なんでしょ?」
 その一言で、周囲の店主たちが次々に傘を開き始めた。
 透明傘、蛇の目傘、恐竜柄。金物店の主人は、懲りずに巨大なゴルフ傘を持ち出している。
 青空の下に、色とりどりの傘が並んだ。
 結衣は笑いながらカメラを構えた。
 その瞬間、剛の恐竜柄の傘だけが風にあおられ、また裏返った。
 雨は降っていなかったが、そこだけは先週とまったく同じだった。

目次

梨は、だいたい重い

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リスが階段を降りるころ

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秋晴れ、今週も欠品中

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