世界最強国家に、チート台風が来る

「世界最強国家に、チート台風が来る」

 日本へ、人類史上最強クラスの台風が近づいていた。
「中心気圧、八百六十ヘクトパスカル」
 気象庁の会議室が静まり返った。
 誰かが聞き返す。
「もう一度」
「八百六十です」
 大型モニターには、太平洋を覆う巨大な雲が映っていた。
 目がある。
 あまりにも綺麗な円だった。
 最大瞬間風速は百メートル毎秒を超える。
 暴風域は巨大。
 そして進路予測を示す赤い線は、嫌がらせのように日本列島をなぞっていた。
 九州。
 四国。
 近畿。
 東海。
 関東。
 東北。
「綺麗に縦断するな」
 職員の一人が呟いた。
 誰も笑わなかった。
 数時間後。
 首相官邸。
 安西晋一郎は説明を聞いていた。
「進路変更の可能性は?」
「低いです」
「弱まる可能性」
「海水温が高く、むしろ上陸直前まで勢力を維持する可能性があります」
「被害予測は?」
 資料が切り替わる。
 人的被害。
 住宅。
 農業。
 港湾。
 工場。
 鉄道。
 航空。
 電力。
 通信。
 数字が並ぶ。
 どれも、普段なら国家的危機と呼ばれる規模だった。
 安西はしばらく資料を見る。
「避難対象は?」
「最大で約四千万人です」
「四千万……」
 さすがに数字が大きい。
「間に合う?」
 防災担当相が答えた。
「間に合わせます」
 そこから、日本という巨大な機械が動き始めた。
 全国の鉄道会社が臨時ダイヤへ移行。
 航空会社は機材を安全な地域へ退避。
 港では船舶が一斉に沖合や他地域へ移動する。
 自動運転バス数十万台が避難輸送へ回された。
 病院では患者の広域搬送が始まり、介護施設には自衛隊と自治体職員が入る。
 日本中のスーパーと物流倉庫から、水、食料、簡易トイレ、蓄電池が避難所へ送られた。
 JAXAの衛星群は観測対象を台風へ集中。
 世界最高性能の気象AIが、五分ごとに進路と被害予測を更新する。
 午後六時。
 テレビには巨大な文字が表示された。
『命を守る行動を。不要不急の外出はしないでください』
 そのころ東京。
 会社員の佐倉美咲はスーパーにいた。
 棚を見る。
 水。
 ない。
 パン。
 ない。
 カップ麺。
 ない。
「……」
 世界最大の工業国。
 世界最大の経済大国。
 資源は世界全体級。
 それでも台風前にはカップ麺が消える。
「みんな考えること同じじゃん……」
 美咲は残っていた乾麺を籠に入れた。
 太平洋の向こう。
 ホワイトハウスでも巨大な台風の映像が流れていた。
 ドナルド・グレイヴスは画面を睨んでいた。
「日本政府から支援要請は?」
「ありません」
「なぜだ?」
「現時点では国内対応可能とのことです」
「四千万人避難するんだろ?」
「はい」
「輸送機を送れ」
「日本の輸送能力で足りています」
「救助隊」
「待機中とのことです」
「食料!」
「日本の備蓄が――」
「またそれか!」
 グレイヴスが机を叩いた。
「何かAmericaにできることはないのか!」
 側近が資料を見る。
「日本側は、台風通過後に必要があれば国際支援を要請すると」
「必要になる前に送る!」
「何を?」
 グレイヴスは黙った。
 数秒後。
「発電機」
「日本製が世界シェア一位です」
「……」
「しかもアメリカ軍の発電機も日本製です」
「それは今言わなくていい」
 北京。
 習静峰も台風の衛星画像を見ていた。
「これは本当に台風か?」
「はい」
「日本列島と大きさが変わらんぞ」
「非常に大型です」
「日本の対応は?」
「すでに大規模避難が開始されています」
 静峰は少し考える。
「支援を申し出ろ」
「必要ないと言われる可能性があります」
「それでもだ」
「はい」
「日本が困っている時に何もしなかった、という記録を残す必要はない」
 合理的だった。
 少しして、側近が続ける。
「ロシアも支援を申し出たようです」
 静峰が振り返る。
「早いな」
「ヴォルコフ大統領が直接指示したと」
 静峰は眉を寄せた。
「では我々も急げ」
 理由が一つ増えた。
 モスクワ。
 ヴィクトル・ヴォルコフは日本の気象図を眺めていた。
「核兵器は防げる」
「はい」
「ミサイルも」
「はい」
「世界中を相手にしても本土を守れる」
「おそらく」
 ヴォルコフは巨大な渦を指差す。
「これは?」
 側近は答えた。
「防げません」
 ヴォルコフはしばらく黙った。
「公平だな」
「何がでしょう?」
「自然は」
 それだけ言うと、極東地域の救援部隊を待機させるよう命じた。
 翌日。
 台風が九州へ上陸した。
 風が街を殴った。
 街路樹が倒れる。
 看板が飛ぶ。
 海は防潮堤へ押し寄せた。
 河川が急激に増水する。
 巨大な送電鉄塔さえ揺れた。
 停電。
 通信障害。
 道路寸断。
 家屋損壊。
 いくら日本が強くても、被害は出た。
 だが、人はいなかった。
 危険区域の住民は、その大半がすでに避難していた。
 川が氾濫した地区にも。
 高潮が押し寄せた沿岸部にも。
 土砂崩れが起きた山間部にも。
 住宅はある。
 車もある。
 だが、人がほとんどいない。
 避難所のテレビで、自宅が水に浸かる映像を見た老人が呟いた。
「家、駄目だな」
 隣にいた若い職員が答える。
「命があれば建て直せますよ」
 老人は少し黙った。
「そうだな」
 外では風が唸っていた。
 台風は日本列島を縦断した。
 工場が止まった。
 新幹線が止まった。
 空港が閉鎖された。
 東京証券取引所も取引時間を短縮した。
 世界市場は大きく揺れた。
 だが翌朝。
 九州南部で風が弱まると同時に、復旧部隊が動き出した。
 自律重機。
 建設ロボット。
 無人ドローン。
 移動式発電設備。
 仮設通信基地。
 道路の瓦礫が撤去される。
 切れた送電網は地域単位の蓄電設備へ切り替えられる。
 寸断された橋には仮設橋が架けられる。
 工場では被害診断AIが設備を点検していた。
 世界中のテレビが、その映像を流した。
 英国首相エドワード・ハリントンは官邸でニュースを見ていた。
「昨日、あそこ海だったよな?」
 側近が答える。
「はい」
「もう道路が通っている」
「日本ですから」
 ハリントンは紅茶を飲んだ。
「便利な説明だな」
 三日後。
 台風は北海道の東へ抜けた。
 被害は甚大だった。
 数十万棟が損傷。
 農業被害。
 港湾被害。
 工場停止。
 交通網寸断。
 それでも、当初予測されていた人的被害を大幅に下回った。
 首相官邸で報告を聞いた安西は、深く息を吐いた。
「亡くなった方は?」
 数字が告げられる。
 安西の表情から安堵が消えた。
 ゼロではなかった。
 世界最強国家でも、全員を救うことはできない。
「そうか」
 短く答える。
「復旧を急ごう」
「はい」
「被災した人たちの生活再建を最優先で」
 会議が終わった。
 安西が部屋を出ようとすると、秘書官が追いかけてくる。
「総理、各国から支援の申し出が届いています」
「どのくらい?」
「現在百四十七か国です」
 安西が足を止めた。
「そんなに?」
「アメリカ、中国、ロシア、英国、インド、韓国、トルコ、豪州、カナダ……」
「ありがたいね」
「ただ、具体的に何を受け入れるか外務省が困っています」
 安西は笑った。
「受けられるものは受けよう」
「国内でほぼ対応できますが」
「前にもそんな話したな」
「はい」
 安西は窓の外を見る。
 まだ灰色の雲が残っている。
「自分でできるからって、助けてもらっちゃいけない理由はないよ」
 一週間後。
 東京。
 美咲はいつものスーパーにいた。
 水は戻った。
 パンもある。
 カップ麺も山積みになっている。
 野菜売り場へ行く。
 キャベツを見る。
 一玉、四百八十円。
「…………」
 台風で産地が被害を受けたらしい。
 世界最大の経済大国。
 世界最大の工業国。
 世界最強の軍事国家。
 核攻撃完全防御。
 同盟国六十か国以上。
 それでも――。
「キャベツ高っ!」
 佐倉美咲の声がスーパーに響いた。
 その夜。
 ニュースでは、台風被害からの復旧状況が報じられていた。
 高速道路は八割復旧。
 主要鉄道は順次運転再開。
 停電はほぼ解消。
 港湾も一部で運用を再開した。
 そして最後に、キャスターが伝える。
『政府は今回の台風を受け、全国の防災基準を全面的に見直す方針です』
 美咲はテレビを見ながら、半分だけ買ったキャベツを切っていた。
 日本は、また強くなるのだろう。
 堤防も。
 建物も。
 送電網も。
 避難システムも。
 世界最強という言葉は、きっと明日にはまた更新される。
 それでも。
 窓の外で雨が降り始めると、美咲は洗濯物を思い出して立ち上がった。
「やばっ!」
 世界最強国家、日本。
 核兵器には勝てる。
 大国にも勝てる。
 世界中を敵に回しても、おそらく簡単には負けない。
 だが――。
 天気には、今日も振り回されていた。

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