お中元が渋滞しています
七月最初の土曜日、宅配便のお兄さんが、細長い箱を抱えて立っていた。
「水野美月さんですね。お中元です」
送り主は、青森に住む伯母だった。
箱を開けると、金色の帯を巻いた高級そうめんが、行儀よく並んでいた。
「わあ、助かる」
一人暮らしに麺類は強い。茹でれば夕飯になるし、失敗もしない。私は伯母へ礼のメッセージを送り、その日の昼に二束茹でた。
問題は、翌日から始まった。
日曜日、母からそうめんが届いた。
月曜日、祖母からそうめんが届いた。
火曜日、父の姉からそうめんが届いた。
水曜日、なぜか父のゴルフ仲間からそうめんが届いた。
木曜日、宅配便のお兄さんは、インターホン越しに名乗る前から言った。
「今日も麺です」
「でしょうね」
玄関には、すでに五箱のそうめんが積まれていた。
一箱につき三十束。
合計百五十束。
私が一日に二束食べても、七十五日かかる。九月の終わりまで、私の主食はそうめんになる計算だ。
会社でその話をすると、同僚の奈々が机を叩いて笑った。
「美月、前世で小麦粉を助けたんじゃない?」
「恩返しの規模がおかしいでしょ」
「でも、高級そうめんなんでしょ?」
「高級でも、百五十束集まると建材だよ」
昼休み、私は家族のグループチャットに写真を送った。
『そうめん、現在百五十束です。これ以上は受け入れられません』
母からすぐ返事が来た。
『了解』
祖母からは、ひらがなだけの短い返事が届いた。
『たくさんたべてね』
伯母は親指を立てたスタンプを送ってきた。
この家族は、誰も反省していない。
その夜から、私はそうめん消費計画を開始した。
一日目は普通のめんつゆ。
二日目はごまだれ。
三日目はツナとトマトを載せて、冷製パスタ風。
四日目は卵と炒めて、そうめんチャンプルー。
五日目はカルボナーラ風。
六日目は麻婆そうめん。
七日目、私は白い麺を見るだけで少し疲れるようになった。
冷蔵庫を開けても、めんつゆ。
戸棚を開けても、そうめん。
夢の中では、巨大なそうめんが私を箸でつまもうとしていた。
「食べる側と食べられる側が逆になってる……」
目を覚ました私は、深夜二時に水を飲んだ。
翌朝、ゴミ出しで隣室のおばあさんに会った。
「最近、ずいぶん麺の箱が届いてるわね」
見られていた。
「お中元が全部そうめんだったんです」
「まあ、夏らしくていいじゃない」
「百五十束あります」
おばあさんは黙った。
その顔は、初めて天文学的な数字を聞いた人の顔だった。
「……二束くらい、いただける?」
「二十束どうぞ」
「そんなに?」
「遠慮すると、来月も渡します」
その日の夕方、私はそうめんを十束ずつ袋へ分けた。
隣のおばあさん。
上の階の子育て中の夫婦。
管理人さん。
近所の留学生。
会社の同僚。
みんな最初は喜んだ。
「助かる!」
「日本の夏って感じ!」
「子どもが麺好きなの!」
だが、三日後。
奈々からメッセージが来た。
『美月、そうめんって返品できる?』
『できません』
『昨日も今日もそうめんなんだけど』
『仲間だね』
『仲間にしないで』
会社では、私が給湯室へ入るだけで同僚が身構えるようになった。
「今日は配らないよ」
そう言うと、全員がほっとした。
「その反応、ちょっと傷つく」
「だって美月、最近そうめんの密売人みたいなんだもん」
奈々の指摘は正しかった。
私は通勤バッグに常時十束入れていた。欲しい人がいれば、すぐ渡せるようにするためだ。
名刺入れの横にそうめん。
化粧ポーチの下にもそうめん。
駅で転んだら、バッグから白い束が飛び出し、知らない男性に拾ってもらった。
「落としましたよ」
「ありがとうございます」
「……麺?」
「仕事道具です」
自分でも何を言っているのか分からなかった。
そんなある日、祖母から電話が来た。
「そうめん、届いた?」
「届いたよ。みんなから届いた」
「よかったねえ」
「よくないよ。どうして全員、そうめんなの?」
祖母は不思議そうに言った。
「美月は、そうめんが大好物でしょう」
「初耳なんだけど」
「三歳の時、そうめんだけはおかわりしたじゃない」
二十三年前の食欲が、今も親戚中で共有されていたらしい。
「三歳の私は、今の私じゃないよ」
「でも、あの時は三杯食べたよ」
「三歳児の記録を永久保存しないで」
電話の向こうで祖母が笑った。
その声を聞くと、強く文句を言う気もなくなった。
祖母は昨年、足を悪くしてから外出が減っていた。お盆も、みんなで集まれるか分からないと言っていた。
「ばあちゃん」
「なに?」
「来週の日曜日、うちに来ない?」
私は玄関に積まれた箱を見た。
「そうめん祭り、やろう」
日曜日。
狭い一LDKに、家族と親戚、隣のおばあさん、奈々まで集まった。
テーブルの中央には、大きなガラス鉢。
薬味はねぎ、みょうが、大葉、しょうが。
さらに、錦糸卵、豚しゃぶ、蒸し鶏、トマト、きゅうり、梅干し、ラー油、カレーつゆ、豆乳だれ。
母が台所から顔を出した。
「美月、そうめん追加する?」
「茹でて。今日は在庫を恐れない」
伯母が笑う。
「やっぱり好きなんじゃない」
「好きと在庫問題は別です」
祖母は椅子に座り、流しそうめん器を珍しそうに眺めていた。
奈々がスイッチを入れると、水が回り始める。
そうめんを入れた瞬間、全員の箸が一斉に動いた。
「ちょっと、取りすぎ!」
「そっちに全部流れてる!」
「ばあちゃん、今の取れた?」
「取れたよ。三本」
「少なっ!」
笑い声が部屋いっぱいに広がった。
祖母は小さな器のそうめんを、ゆっくり口へ運んだ。
「美月」
「なに?」
「やっぱり、あんたはそうめんが好きだね」
私は反論しようとした。
けれど、祖母の嬉しそうな顔を見て、やめた。
「まあね。三歳の頃から」
「そうでしょう」
その日だけで、四十束が消えた。
人間は集まると、思った以上に麺を食べる。
夜、みんなが帰った後、私は空になった箱を畳んだ。
百五十束あったそうめんは、残り二十八束。
これなら八月中に食べ切れる。
私は達成感に浸りながら冷蔵庫を開けた。
すると、母が置いていった紙袋があった。
中には、立派な木箱。
嫌な予感がした。
蓋を開ける。
金色の帯を巻いた、新しいそうめんが三十束並んでいた。
箱の上には、母の字で付箋が貼られている。
『今日たくさん食べたから、足りなくなると思って』
私はしばらく黙り、スマホで家族のグループチャットを開いた。
『来年から、お中元は洗剤にしてください』
すぐに祖母から返事が来た。
『わかった。ひやむぎにするね』
夏は、まだ始まったばかりだった。
「水野美月さんですね。お中元です」
送り主は、青森に住む伯母だった。
箱を開けると、金色の帯を巻いた高級そうめんが、行儀よく並んでいた。
「わあ、助かる」
一人暮らしに麺類は強い。茹でれば夕飯になるし、失敗もしない。私は伯母へ礼のメッセージを送り、その日の昼に二束茹でた。
問題は、翌日から始まった。
日曜日、母からそうめんが届いた。
月曜日、祖母からそうめんが届いた。
火曜日、父の姉からそうめんが届いた。
水曜日、なぜか父のゴルフ仲間からそうめんが届いた。
木曜日、宅配便のお兄さんは、インターホン越しに名乗る前から言った。
「今日も麺です」
「でしょうね」
玄関には、すでに五箱のそうめんが積まれていた。
一箱につき三十束。
合計百五十束。
私が一日に二束食べても、七十五日かかる。九月の終わりまで、私の主食はそうめんになる計算だ。
会社でその話をすると、同僚の奈々が机を叩いて笑った。
「美月、前世で小麦粉を助けたんじゃない?」
「恩返しの規模がおかしいでしょ」
「でも、高級そうめんなんでしょ?」
「高級でも、百五十束集まると建材だよ」
昼休み、私は家族のグループチャットに写真を送った。
『そうめん、現在百五十束です。これ以上は受け入れられません』
母からすぐ返事が来た。
『了解』
祖母からは、ひらがなだけの短い返事が届いた。
『たくさんたべてね』
伯母は親指を立てたスタンプを送ってきた。
この家族は、誰も反省していない。
その夜から、私はそうめん消費計画を開始した。
一日目は普通のめんつゆ。
二日目はごまだれ。
三日目はツナとトマトを載せて、冷製パスタ風。
四日目は卵と炒めて、そうめんチャンプルー。
五日目はカルボナーラ風。
六日目は麻婆そうめん。
七日目、私は白い麺を見るだけで少し疲れるようになった。
冷蔵庫を開けても、めんつゆ。
戸棚を開けても、そうめん。
夢の中では、巨大なそうめんが私を箸でつまもうとしていた。
「食べる側と食べられる側が逆になってる……」
目を覚ました私は、深夜二時に水を飲んだ。
翌朝、ゴミ出しで隣室のおばあさんに会った。
「最近、ずいぶん麺の箱が届いてるわね」
見られていた。
「お中元が全部そうめんだったんです」
「まあ、夏らしくていいじゃない」
「百五十束あります」
おばあさんは黙った。
その顔は、初めて天文学的な数字を聞いた人の顔だった。
「……二束くらい、いただける?」
「二十束どうぞ」
「そんなに?」
「遠慮すると、来月も渡します」
その日の夕方、私はそうめんを十束ずつ袋へ分けた。
隣のおばあさん。
上の階の子育て中の夫婦。
管理人さん。
近所の留学生。
会社の同僚。
みんな最初は喜んだ。
「助かる!」
「日本の夏って感じ!」
「子どもが麺好きなの!」
だが、三日後。
奈々からメッセージが来た。
『美月、そうめんって返品できる?』
『できません』
『昨日も今日もそうめんなんだけど』
『仲間だね』
『仲間にしないで』
会社では、私が給湯室へ入るだけで同僚が身構えるようになった。
「今日は配らないよ」
そう言うと、全員がほっとした。
「その反応、ちょっと傷つく」
「だって美月、最近そうめんの密売人みたいなんだもん」
奈々の指摘は正しかった。
私は通勤バッグに常時十束入れていた。欲しい人がいれば、すぐ渡せるようにするためだ。
名刺入れの横にそうめん。
化粧ポーチの下にもそうめん。
駅で転んだら、バッグから白い束が飛び出し、知らない男性に拾ってもらった。
「落としましたよ」
「ありがとうございます」
「……麺?」
「仕事道具です」
自分でも何を言っているのか分からなかった。
そんなある日、祖母から電話が来た。
「そうめん、届いた?」
「届いたよ。みんなから届いた」
「よかったねえ」
「よくないよ。どうして全員、そうめんなの?」
祖母は不思議そうに言った。
「美月は、そうめんが大好物でしょう」
「初耳なんだけど」
「三歳の時、そうめんだけはおかわりしたじゃない」
二十三年前の食欲が、今も親戚中で共有されていたらしい。
「三歳の私は、今の私じゃないよ」
「でも、あの時は三杯食べたよ」
「三歳児の記録を永久保存しないで」
電話の向こうで祖母が笑った。
その声を聞くと、強く文句を言う気もなくなった。
祖母は昨年、足を悪くしてから外出が減っていた。お盆も、みんなで集まれるか分からないと言っていた。
「ばあちゃん」
「なに?」
「来週の日曜日、うちに来ない?」
私は玄関に積まれた箱を見た。
「そうめん祭り、やろう」
日曜日。
狭い一LDKに、家族と親戚、隣のおばあさん、奈々まで集まった。
テーブルの中央には、大きなガラス鉢。
薬味はねぎ、みょうが、大葉、しょうが。
さらに、錦糸卵、豚しゃぶ、蒸し鶏、トマト、きゅうり、梅干し、ラー油、カレーつゆ、豆乳だれ。
母が台所から顔を出した。
「美月、そうめん追加する?」
「茹でて。今日は在庫を恐れない」
伯母が笑う。
「やっぱり好きなんじゃない」
「好きと在庫問題は別です」
祖母は椅子に座り、流しそうめん器を珍しそうに眺めていた。
奈々がスイッチを入れると、水が回り始める。
そうめんを入れた瞬間、全員の箸が一斉に動いた。
「ちょっと、取りすぎ!」
「そっちに全部流れてる!」
「ばあちゃん、今の取れた?」
「取れたよ。三本」
「少なっ!」
笑い声が部屋いっぱいに広がった。
祖母は小さな器のそうめんを、ゆっくり口へ運んだ。
「美月」
「なに?」
「やっぱり、あんたはそうめんが好きだね」
私は反論しようとした。
けれど、祖母の嬉しそうな顔を見て、やめた。
「まあね。三歳の頃から」
「そうでしょう」
その日だけで、四十束が消えた。
人間は集まると、思った以上に麺を食べる。
夜、みんなが帰った後、私は空になった箱を畳んだ。
百五十束あったそうめんは、残り二十八束。
これなら八月中に食べ切れる。
私は達成感に浸りながら冷蔵庫を開けた。
すると、母が置いていった紙袋があった。
中には、立派な木箱。
嫌な予感がした。
蓋を開ける。
金色の帯を巻いた、新しいそうめんが三十束並んでいた。
箱の上には、母の字で付箋が貼られている。
『今日たくさん食べたから、足りなくなると思って』
私はしばらく黙り、スマホで家族のグループチャットを開いた。
『来年から、お中元は洗剤にしてください』
すぐに祖母から返事が来た。
『わかった。ひやむぎにするね』
夏は、まだ始まったばかりだった。