水着は空を飛ばない
届いた箱を開けた瞬間、真帆は注文履歴を確認した。
商品名は、確かに水着だった。
『大人かわいい、体型を上品にカバーするワンピース水着』
色は紺。
胸元や腰回りの露出も控えめで、二十六歳の真帆でも安心して着られそうな落ち着いたデザイン。
問題は、背中についている白いリボンだった。
大きい。
あまりにも大きい。
結婚式場の椅子に巻かれている飾りくらい大きかった。
「これ、水着じゃなくて贈答品じゃない?」
ビデオ通話の画面越しに、友人の莉子が言った。
「商品写真では、もっと小さく見えたんだけど」
「モデルさんの背中が広かったんじゃない?」
「謝って。モデルさんに謝って」
真帆がリボンを広げると、画面の半分が白く埋まった。
「風が吹いたら飛べそう」
「水着に飛行機能はいらないよ」
「返品する?」
真帆は少し考えた。
翌日は、会社の同期たちと海へ行く予定だった。
海なんて高校生以来である。
水着姿になることにも抵抗があり、できれば大きめのTシャツを着たまま、浜辺で焼きそばだけ食べて帰りたいと思っていた。
しかし、注文し直す時間はない。
「……着る」
「勇者だね」
「どうせ上からラッシュガードを羽織るし」
「リボン、収まる?」
収まらなかった。
翌朝。
海岸に到着した真帆は、更衣室の鏡の前で立ち尽くしていた。
紺色のワンピース水着そのものは悪くない。
露出も少なく、動きやすい。
薄い白のラッシュガードを羽織れば、さらに安心だった。
ただし、背中だけが盛大に膨らんでいる。
巨大なリボンが、ラッシュガードの内側で行き場を失っていた。
横から見ると、何かを背負っているように見える。
「甲羅……?」
鏡に映る自分を見て呟く。
仕方なくリボンだけ外へ出すと、ようやく落ち着いた。
落ち着いたのは本人だけだった。
更衣室を出た瞬間、近くにいた小さな女の子が目を輝かせた。
「お姉ちゃん、海のプリンセス?」
「え?」
「背中に大きなリボンがある!」
少女の母親が慌てて頭を下げる。
「すみません」
「いえ、大丈夫です」
女の子はさらに近づいた。
「魔法使える?」
真帆は一瞬迷った。
「今日はお休みかな」
「そっか。海の日だもんね」
どういう納得なのかは分からなかった。
同期たちは、パラソルの下で待っていた。
真帆が近づくと、全員の視線が背中へ集まる。
「何も言わないで」
真帆が先に釘を刺した。
莉子は口元を押さえながら言う。
「似合ってるよ」
「目を見て言って」
「リボン、思ったより立体的だね」
「感想が建築物なのよ」
同期の篠崎が、真帆の周囲を一周した。
「これ、追い風を受けたら速そう」
「水泳選手じゃないから」
「向かい風には弱そう」
「船でもないから」
真帆はパラソルの下へ座り、背中のリボンを砂につけないよう慎重に荷物を置いた。
その時、海から強い風が吹いた。
リボンが大きく膨らむ。
身体が、わずかに後ろへ引かれた。
「嘘でしょ」
もう一度、風が吹く。
今度は明らかに身体が動いた。
篠崎が真顔で言う。
「離陸するぞ」
「しないよ!」
言い返した直後、麦わら帽子が風に飛ばされた。
真帆は慌てて追いかける。
しかし、背中のリボンが風を受け、思うように前へ進めない。
必死に走っているはずなのに、横へ流されていく。
「なんで斜めに進むの!?」
「風を読め、真帆!」
「ヨットの指示を出さないで!」
帽子は浜辺を転がり、砂山へ突っ込んだ。
真帆も勢いを止められず、その隣へ膝から着地する。
そこは、子どもたちが作っていた砂の城だった。
幸い、城は壊れなかった。
代わりに真帆の膝の跡が、城の手前へ二つ残った。
子どもの一人が、それを見て言った。
「門にしよう!」
もう一人も頷く。
「巨大生物が通る門!」
「お姉ちゃんは巨大生物じゃないよ」
真帆の抗議は採用されず、砂の城は『海獣の城』と名づけられた。
昼前。
同期たちはビーチバレーを始めた。
真帆は断った。
リボンをつけたまま激しく動けば、何が起こるか分からない。
しかし、人数が一人足りず、半ば強引にコートへ入れられた。
「私、球技は苦手だからね」
「立ってるだけでいいよ」
「一番傷つく指示だな」
試合が始まる。
案の定、ボールは真帆の手から大きく外れた。
ところが、背中のリボンへ直撃したボールが、奇妙な回転をしながら相手コートへ落ちた。
全員が固まる。
「一点?」
審判役の莉子が、おそるおそる指を上げた。
「一点」
相手チームが抗議する。
「今の、身体に当たった扱い?」
「リボンも水着の一部です」
真帆は胸を張った。
「じゃあ、有効で」
それから、流れが変わった。
ボールが飛んでくる。
真帆が背中を向ける。
リボンに当たる。
予測不能な方向へ飛ぶ。
相手チームは翻弄された。
「次、右から来る!」
「真帆、背中!」
「背中で指示しないで!」
真帆たちのチームは、まさかの逆転勝利を収めた。
勝利の立役者となった真帆には、新しい呼び名がついた。
『背中の司令塔』
「全然うれしくない」
試合が終わる頃には、真帆もすっかり水着姿を気にしなくなっていた。
周囲の人は、それぞれ海を楽しんでいる。
泳ぐ人。
寝転ぶ人。
砂に埋められている人。
何度も日焼け止めを塗り直している人。
自分が思っていたほど、誰も他人の水着をじっくり見てはいない。
真帆のリボンだけは、かなり見られていたが。
夕方。
海沿いの店でかき氷を買い、真帆は篠崎と並んで防波堤へ座った。
空は少しずつ茜色に染まり、昼間より穏やかな風が吹いている。
「楽しかった?」
篠崎が尋ねる。
「まあね」
「朝は、今すぐ帰りそうな顔してたけど」
「久しぶりの水着だったし、ちょっと恥ずかしかったの」
「誰も気にしてなかっただろ」
「リボンは気にしてたじゃん」
「リボンは別。あれは自然現象だから」
「台風みたいに言わないで」
篠崎は笑い、自分のスマートフォンを見せた。
ビーチバレー中の写真だった。
真帆は背中を相手へ向け、巨大なリボンでボールを跳ね返している。
周囲では全員が笑っていた。
真帆自身も、口を大きく開けて笑っている。
「ひどい顔」
「今日、一番いい写真だと思うけど」
真帆は少しだけ黙った。
たしかに、飾っていない。
水着姿も、髪の乱れも気にせず、ただ楽しそうに笑っている。
「送って」
「会社のグループにも?」
「それは絶対駄目」
「背中の司令塔として社内報へ」
「明日から無視するよ」
帰宅した真帆は、通販サイトの商品ページを開いた。
レビューの入力欄へ、星を四つつける。
そして、こう書いた。
『露出が少なく、着心地も良かったです。大きなリボンは体型をカバーするというより、周囲の視線をすべて背中へ誘導します。強風時には進行方向が変わるため注意が必要です。ビーチバレーでは強力な武器になります』
投稿ボタンを押した直後、画面に関連商品が表示された。
『今年の新作。ダブルリボン水着』
背中に、巨大なリボンが二つついている。
真帆はそっと画面を閉じた。
人類にはまだ早い。
そう判断した。
商品名は、確かに水着だった。
『大人かわいい、体型を上品にカバーするワンピース水着』
色は紺。
胸元や腰回りの露出も控えめで、二十六歳の真帆でも安心して着られそうな落ち着いたデザイン。
問題は、背中についている白いリボンだった。
大きい。
あまりにも大きい。
結婚式場の椅子に巻かれている飾りくらい大きかった。
「これ、水着じゃなくて贈答品じゃない?」
ビデオ通話の画面越しに、友人の莉子が言った。
「商品写真では、もっと小さく見えたんだけど」
「モデルさんの背中が広かったんじゃない?」
「謝って。モデルさんに謝って」
真帆がリボンを広げると、画面の半分が白く埋まった。
「風が吹いたら飛べそう」
「水着に飛行機能はいらないよ」
「返品する?」
真帆は少し考えた。
翌日は、会社の同期たちと海へ行く予定だった。
海なんて高校生以来である。
水着姿になることにも抵抗があり、できれば大きめのTシャツを着たまま、浜辺で焼きそばだけ食べて帰りたいと思っていた。
しかし、注文し直す時間はない。
「……着る」
「勇者だね」
「どうせ上からラッシュガードを羽織るし」
「リボン、収まる?」
収まらなかった。
翌朝。
海岸に到着した真帆は、更衣室の鏡の前で立ち尽くしていた。
紺色のワンピース水着そのものは悪くない。
露出も少なく、動きやすい。
薄い白のラッシュガードを羽織れば、さらに安心だった。
ただし、背中だけが盛大に膨らんでいる。
巨大なリボンが、ラッシュガードの内側で行き場を失っていた。
横から見ると、何かを背負っているように見える。
「甲羅……?」
鏡に映る自分を見て呟く。
仕方なくリボンだけ外へ出すと、ようやく落ち着いた。
落ち着いたのは本人だけだった。
更衣室を出た瞬間、近くにいた小さな女の子が目を輝かせた。
「お姉ちゃん、海のプリンセス?」
「え?」
「背中に大きなリボンがある!」
少女の母親が慌てて頭を下げる。
「すみません」
「いえ、大丈夫です」
女の子はさらに近づいた。
「魔法使える?」
真帆は一瞬迷った。
「今日はお休みかな」
「そっか。海の日だもんね」
どういう納得なのかは分からなかった。
同期たちは、パラソルの下で待っていた。
真帆が近づくと、全員の視線が背中へ集まる。
「何も言わないで」
真帆が先に釘を刺した。
莉子は口元を押さえながら言う。
「似合ってるよ」
「目を見て言って」
「リボン、思ったより立体的だね」
「感想が建築物なのよ」
同期の篠崎が、真帆の周囲を一周した。
「これ、追い風を受けたら速そう」
「水泳選手じゃないから」
「向かい風には弱そう」
「船でもないから」
真帆はパラソルの下へ座り、背中のリボンを砂につけないよう慎重に荷物を置いた。
その時、海から強い風が吹いた。
リボンが大きく膨らむ。
身体が、わずかに後ろへ引かれた。
「嘘でしょ」
もう一度、風が吹く。
今度は明らかに身体が動いた。
篠崎が真顔で言う。
「離陸するぞ」
「しないよ!」
言い返した直後、麦わら帽子が風に飛ばされた。
真帆は慌てて追いかける。
しかし、背中のリボンが風を受け、思うように前へ進めない。
必死に走っているはずなのに、横へ流されていく。
「なんで斜めに進むの!?」
「風を読め、真帆!」
「ヨットの指示を出さないで!」
帽子は浜辺を転がり、砂山へ突っ込んだ。
真帆も勢いを止められず、その隣へ膝から着地する。
そこは、子どもたちが作っていた砂の城だった。
幸い、城は壊れなかった。
代わりに真帆の膝の跡が、城の手前へ二つ残った。
子どもの一人が、それを見て言った。
「門にしよう!」
もう一人も頷く。
「巨大生物が通る門!」
「お姉ちゃんは巨大生物じゃないよ」
真帆の抗議は採用されず、砂の城は『海獣の城』と名づけられた。
昼前。
同期たちはビーチバレーを始めた。
真帆は断った。
リボンをつけたまま激しく動けば、何が起こるか分からない。
しかし、人数が一人足りず、半ば強引にコートへ入れられた。
「私、球技は苦手だからね」
「立ってるだけでいいよ」
「一番傷つく指示だな」
試合が始まる。
案の定、ボールは真帆の手から大きく外れた。
ところが、背中のリボンへ直撃したボールが、奇妙な回転をしながら相手コートへ落ちた。
全員が固まる。
「一点?」
審判役の莉子が、おそるおそる指を上げた。
「一点」
相手チームが抗議する。
「今の、身体に当たった扱い?」
「リボンも水着の一部です」
真帆は胸を張った。
「じゃあ、有効で」
それから、流れが変わった。
ボールが飛んでくる。
真帆が背中を向ける。
リボンに当たる。
予測不能な方向へ飛ぶ。
相手チームは翻弄された。
「次、右から来る!」
「真帆、背中!」
「背中で指示しないで!」
真帆たちのチームは、まさかの逆転勝利を収めた。
勝利の立役者となった真帆には、新しい呼び名がついた。
『背中の司令塔』
「全然うれしくない」
試合が終わる頃には、真帆もすっかり水着姿を気にしなくなっていた。
周囲の人は、それぞれ海を楽しんでいる。
泳ぐ人。
寝転ぶ人。
砂に埋められている人。
何度も日焼け止めを塗り直している人。
自分が思っていたほど、誰も他人の水着をじっくり見てはいない。
真帆のリボンだけは、かなり見られていたが。
夕方。
海沿いの店でかき氷を買い、真帆は篠崎と並んで防波堤へ座った。
空は少しずつ茜色に染まり、昼間より穏やかな風が吹いている。
「楽しかった?」
篠崎が尋ねる。
「まあね」
「朝は、今すぐ帰りそうな顔してたけど」
「久しぶりの水着だったし、ちょっと恥ずかしかったの」
「誰も気にしてなかっただろ」
「リボンは気にしてたじゃん」
「リボンは別。あれは自然現象だから」
「台風みたいに言わないで」
篠崎は笑い、自分のスマートフォンを見せた。
ビーチバレー中の写真だった。
真帆は背中を相手へ向け、巨大なリボンでボールを跳ね返している。
周囲では全員が笑っていた。
真帆自身も、口を大きく開けて笑っている。
「ひどい顔」
「今日、一番いい写真だと思うけど」
真帆は少しだけ黙った。
たしかに、飾っていない。
水着姿も、髪の乱れも気にせず、ただ楽しそうに笑っている。
「送って」
「会社のグループにも?」
「それは絶対駄目」
「背中の司令塔として社内報へ」
「明日から無視するよ」
帰宅した真帆は、通販サイトの商品ページを開いた。
レビューの入力欄へ、星を四つつける。
そして、こう書いた。
『露出が少なく、着心地も良かったです。大きなリボンは体型をカバーするというより、周囲の視線をすべて背中へ誘導します。強風時には進行方向が変わるため注意が必要です。ビーチバレーでは強力な武器になります』
投稿ボタンを押した直後、画面に関連商品が表示された。
『今年の新作。ダブルリボン水着』
背中に、巨大なリボンが二つついている。
真帆はそっと画面を閉じた。
人類にはまだ早い。
そう判断した。