お盆休みは、休ませてくれない

「今年のお盆休みは九連休です」
 部長がそう告げた瞬間、会議室に小さな歓声が上がった。
 旅行サイトを開く人。
 実家へ帰ると連絡する人。
 キャンプの予約を確認する人。
 二十七歳のウェブディレクター、水瀬紗良だけは、静かに拳を握っていた。
 予定はすでに決まっている。
 何もしない。
 朝は目覚ましをかけず、昼まで寝る。
 冷房の効いた部屋で映画を見て、空腹になったら出前を頼む。
 人にも会わない。
 電車にも乗らない。
 化粧もしない。
 九日間、社会から一時的に姿を消す。
 名づけて、
『完全休養計画』
 だった。
 連休初日。
 午前八時一分。
 紗良のスマートフォンが鳴った。
 母からだった。
 嫌な予感がする。
 無視する。
 もう一度鳴る。
 無視する。
 三度目は、家族のグループ通話だった。
「緊急事態?」
 眠そうな声で出ると、画面いっぱいに母の顔が映った。
「紗良、今年はいつ帰ってくるの?」
「帰らないよ」
「え?」
「九日間、東京で休むの」
 画面の奥から、父の声が聞こえた。
「じゃあ、プリンターは誰が直すんだ?」
「修理業者」
 弟が割り込んでくる。
「俺のパソコンも動かない」
「電源入れた?」
「入れたと思う」
「思うじゃなくて確認して」
 母がスマートフォンを持ったまま、台所へ移動した。
「それから、居間のテレビで動画が見られなくなったの」
「私は家電量販店じゃないよ」
「帰ってきたら、全部まとめて見てくれればいいから」
「帰らないって言ったよね?」
 通話はそこで切れた。
 三分後。
 家族のグループチャットへ、一枚の画像が送られてきた。
『紗良のお盆帰省予定表』
 八月十一日。
 午前、プリンター修理。
 午後、父のスマートフォン設定。
 夕方、買い物。
 八月十二日。
 午前、弟のパソコン確認。
 午後、物置整理。
 夜、親戚と食事。
 八月十三日。
 終日、未定。
 紗良は画像を拡大した。
『終日、未定』
 一見すると自由時間に見える。
 しかし、この家族における未定とは、仕事を後から追加できる空白欄だった。
『帰りません』
 送信すると、母からすぐに返事が来た。
『分かった。紗良の部屋に置いてある荷物、全部処分しておくね』
 紗良はベッドから飛び起きた。
『待って』
『どうしたの?』
『何が置いてあるの?』
『卒業アルバムとか、昔の漫画とか、よく分からない箱』
『帰ります』
 交渉は、母の勝利に終わった。
 翌朝。
 紗良は満員の新幹線に立っていた。
 指定席は取れなかった。
 自由席にも座れなかった。
 東京駅で買ったコーヒーは、隣の乗客のスーツケースへぶつかりそうになり、一口も飲めない。
 デッキでは子どもが泣き、その横では父親が立ったまま眠っている。
 九連休の二日目にして、紗良の体力は半分になった。
 三時間後。
 故郷の駅へ着く。
 改札の前では、母が満面の笑みで待っていた。
「おかえり!」
「ただいま」
「疲れたでしょう?」
「かなり」
「じゃあ、車の中で休んで」
 少しだけ優しさを感じた。
 駐車場へ着くまでは。
 車の後部座席には、大きな段ボール箱が三つ積まれていた。
「これ、何?」
「スーパーで買ったもの。家まで運んでくれる?」
 休憩時間は、四十秒だった。
 実家へ着くと、父がプリンターの前で腕を組んでいた。
「印刷できない」
 紗良は鞄を置き、電源を見る。
 コンセントが抜けていた。
 差し込む。
 プリンターが動き始める。
「直った」
 父が感心したように頷く。
「さすが東京で働いてるだけあるな」
「東京は電気の仕組みが違うと思ってる?」
 次は父のスマートフォンだった。
「写真が撮れない」
 容量を確認する。
 同じ風景写真が、連写で三千二百枚保存されていた。
「どうして同じ畑をこんなに撮ったの?」
「鳥がいたんだ」
「三千二百枚も?」
「動くから、うまく撮れなくて」
 写真を確認すると、鳥は一枚にも写っていなかった。
 写っているのは、畑。
 空。
 父の指。
 畑。
 空。
 父の指。
 たまに地面。
 紗良は二時間かけて写真を整理した。
 午後は弟のパソコン。
 電源は入った。
 画面も映った。
 インターネットにもつながる。
「どこが動かないの?」
「ゲームが重い」
「それを故障って呼ばないで」
「でも困ってる」
「人生には、我慢しなきゃいけないこともあるの」
「姉ちゃん、九連休なのに機嫌悪いね」
 誰のせいだと思っているのか。
 夕方。
 ようやく自分の部屋へ入る。
 昔とほとんど変わっていなかった。
 机。
 本棚。
 高校時代に買ったぬいぐるみ。
 ただし、ベッドの上には大量のタオルと段ボール箱が置かれている。
「私の部屋、倉庫になってるじゃん!」
 廊下から母が答えた。
「帰ってこないから、有効活用したの」
 紗良は荷物を床へ下ろし、ベッドへ倒れ込んだ。
 その瞬間、扉が開く。
 小学生のいとこ、莉央が立っていた。
「紗良お姉ちゃん」
「どうしたの?」
「夏休みの宿題、手伝って」
「何の宿題?」
 莉央は分厚い冊子を差し出した。
『夏休みの自由研究』
「自由研究は、自分で自由に研究するものだよ」
「だから、紗良お姉ちゃんを自由に使うの」
「自由の解釈が強すぎる」
 翌日。
 紗良は莉央と一緒に、町の気温を調べることになった。
 道路。
 公園。
 神社。
 スーパーの駐車場。
 炎天下を歩き、温度計で気温を測る。
 東京で冷房に包まれて過ごす予定だった女が、今は三十度を超える町を歩き回っている。
 神社の石段に座り、紗良はスポーツドリンクを飲んだ。
「お盆休みって、休むためにあるんじゃないの?」
 莉央はノートへ気温を書きながら答えた。
「みんなに会うためじゃない?」
「どこで覚えたの、その模範解答」
「お母さんが言ってた」
 母の仕込みだった。
 夕方。
 実家へ戻ると、庭に長いテーブルが並んでいた。
 親戚たちが料理を運び、父が炭火を起こしている。
 母は紗良を見ると、台所を指さした。
「冷蔵庫からお肉を持ってきて」
「今日の予定表には、食事って書いてあったよね?」
「食事の準備も食事の一部よ」
「食べるところだけ参加したい」
「働いた後のほうがおいしいから」
 紗良は渋々、肉と野菜を運んだ。
 やがて、家族と親戚がテーブルを囲む。
 焼けた肉。
 冷たいそうめん。
 スイカ。
 枝豆。
 どこかの家から持ち寄られた大量の煮物。
 全員が好き勝手に話し、誰も人の話を最後まで聞いていない。
 莉央が自由研究の温度表を見せる。
 父はスマートフォンで畑の写真を披露する。
 弟は新しいゲームの説明を始める。
 母は、紗良が子どもの頃に転んだ話を、なぜか今年も親戚へ話していた。
「その話、何回目?」
「面白い話は、何回してもいいの」
「転んだ本人は面白くないんだけど」
 笑い声が庭へ広がった。
 夜になると、遠くから盆踊りの音が聞こえてきた。
 風が少し涼しくなる。
 紗良は縁側へ座り、冷たい麦茶を飲んだ。
 隣へ母が座る。
「疲れた?」
「ものすごく」
「仕事より?」
「種類の違う疲れ」
「来年は、予定を減らすね」
 紗良は母を見た。
「本当に?」
「プリンターは今年直ったし」
「コンセントを入れただけだけど」
「来年はエアコンを見てほしい」
「もう来年の作業が決まってるじゃん」
 母は笑った。
 その横顔を見ながら、紗良も少しだけ笑った。
 東京にいれば、もっと静かに休めただろう。
 好きな時間に起きて、好きなものを食べて、誰にも邪魔されずに過ごせた。
 けれど、父のスマートフォンには、紗良が帰ってきた瞬間の写真が二百枚保存されていた。
 すべて少しずつぶれている。
 それでも、どの写真の紗良も笑っていた。
 連休最終日。
 紗良は再び新幹線へ乗った。
 帰りのスーツケースは、来た時より明らかに重い。
 母が持たせた野菜。
 父が育てた米。
 親戚から渡された菓子。
 莉央がくれた、自由研究のコピー。
 東京の部屋へ戻り、スーツケースを開ける。
 一番上に、母からの手紙が入っていた。
『たくさん手伝ってくれてありがとう。今度は何もしなくていいから、また帰っておいで』
 紗良は少しだけ目を細めた。
 その直後、家族のグループチャットに新しい画像が届く。
『年末年始 紗良の帰省予定表』
 十二月二十九日。
 午前、換気扇掃除。
 午後、年賀状印刷。
 十二月三十日。
 終日、大掃除。
 紗良はしばらく画面を見つめた。
 それから、母の手紙を裏返す。
 余白へ大きく書いた。
『何もしなくていいとは?』
 お盆休みは終わった。
 次の戦いは、すでに始まっていた。

目次

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