最恐の敵

 白い団地が並ぶ中、一つだけ色を持つ者が駆けていた。弱々しい風が、彼の美しい金髪の髪を優しく撫で上げる。
 団地の建物が次第に少なくなると、リアムの前方には広々とした広場が現れ、中央には孤独な木が立っていた。その木の前には、希望の従者が立っており、彼の口元には曲がった笑みが浮かんでいた。
「お前なら、一人で来てくれると思っていたよ。神の前で野蛮な真似は控えたい。お前はどちらにせよ、消す必要があったしな」
 深くフードを被り、機械的な声を発するこの男。しかし、その背後に隠された真実にリアムは気付いていた。だからこそ、彼自身が片を付けないとならない。
 希望の従者はリアムに指を向けてくる。
「神の御言葉に従わぬ、愚かな男だ」
「神様の御言葉?」
「神託でお伝え頂いた」
「違う!」
 足音が鳴り響き、その直後に衝突音が広場に広がる。希望の従者の顔が右に向き、フードが捲り上がる。
 金髪の長い髪、大きな目、その姿はリアムそのものだった。しかし、その目は焦点があっていなく、狂気を秘めているように見えた。希望の従者は、リアムの拳が触れた頬を手で触る。
「違うとは?」
「神託は神の言葉ではなく、貴方の言葉だからだ!」
「何故、お前にそんなことが分かる?」
「僕にもその声が聞こえるからだ」
 リアムが言うと、希望の従者が笑い始める。
「くくっ、神託をも受けるか。ここまで、私に近い者が現れるとはな」
 希望の従者が会話に夢中になっている隙に、リアムは彼の顔に拳を放った。しかし、その拳は瞬時に捕まえられた。リアムはもう片方の手を振り上げて打ち込もうとしたが、それも同様に素早く掴まれてしまった。二人は力を込め、互いに押し合っていた。
「貴方が見ているのは自分の中にいる神だ」
「神託に従っていると言っただろ? 神の意向に沿っている」
「なら、湊は神託に近い言葉を発したのかい?」
「・・・まだ、神は覚醒したばかりなのだ。これから、私が神として相応しく、お導きして差し上げなければならない」 
「結局、貴方が神様を利用しているだけだ。神の御意志に従ってなどいない」
「・・・いい加減に黙れ」
 希望の従者はリアムの片手を振り払うと、彼の首に手を伸ばしてくる。それは、リアムの首を捉えると振り上げた後、地面に激しく叩きつける。白い地面は大きくひびが入り、クレーターのようなものができ、リアムはその中心に沈んでしまう。
 リアムの首は希望の従者の強い握力により、徐々に息が詰まり始める。しかし、彼は必死に足を強く振り上げて、希望の従者の腹を蹴り上げる。その反撃によって、希望の従者は天高く舞い上がっていく。
 リアムはゆっくりと立ち上がり、首を押さえながら息を整える。首を抑えながらも、彼は力では希望の従者に勝ち目がないように思えてきていた。
 希望の従者が空から降ってきて地面に足を着ける。彼は挑発的な笑みを浮かべながら声を上げる。
「ふっ、なら、お前はどうなんだ? 神託が聞こえるのだろう。それこそ、神の言葉だとは思わないのか?」
「神託は関係ない。僕は神に従うだけだ。それがシン教の教えだ」
「神が誤っていてもか?」
「神に誤りなどない!」
 リアムの言葉に、希望の従者は一瞬戸惑ったが、すぐに駆け寄り拳を繰り出す。リアムはそれを片手で受け止めたが、神の従者はもう一方の手で彼の顔目掛けて拳を振り下ろした。リアムはその拳も迅速に捕らえ、二人は再び力強く組み合っていた。
「今の神は創造の力で並行世界を生み出してしまうのだぞ。世界に混乱が起きてしまう」
「彼は誤った神なのだろう。僕の神は並行世界を生み出したりなどしない。誤りなどしないのだから」
 リアムが言うと、希望の従者が貫くような視線を彼に向けて来る。
「お前の言葉は私の心をざわつかせる」
 突如、リアムと希望の従者の力の均衡が崩れだす。希望の従者の圧倒的な力が、激しい波のようにリアムに襲いかかってき、彼の背中が徐々に後ろに反りだす。
 希望の従者は、リアムの手を放し、目にも見えない速さで拳と蹴りの雨を降らせてくる。その動きは先ほどまでとは別次元の猛攻であった。
 リアムの目はその動きを捉えることができず、希望の従者の一撃一撃が、彼の魂を削り始めていった。
 嵐の中心に取り残されたかのような希望の従者の壮絶な攻撃に晒され、リアムの身体は半透明となり、ゆっくりと地面へと倒れ伏せた。彼には身体を起こそうとする意思はあったが、肉体がそれを拒絶していた。
 希望の従者は、リアムを氷のような目で見下ろしていた。その目には、どんな懇願をしても拒絶する意思が込められていた。
「お前は私の魂から奪ったものを持っている」
 希望の従者は、リアムの首を片手で掴み、彼を無理やり起こした。リアムの自由は一切が奪われ、もがくように僅かに足を動かすくらいしか許されなくなっていた。
 希望の従者がリアムの首を絞める手に徐々に力を入れていくと、彼の意識が遠ざかっていき、暗闇が迫ってくるのを感じた。死、その言葉が彼の心に響き渡ってくる。自らは天国に行けるのだろうか。シン教の教えには従って来たため、愛と光に包まれた世界に行けるはずだ。
 しかし、突如、リアムの首は離されて、彼は地面に転がる。リアムが目を上げると、希望の従者も地面に倒れていた。
「もう、神様ごっこは終わりにしようぜ」
 空から聞き覚えのある声が聞こえてくる。リアムが天を見つめると、白い輝く太陽と同じ空に、黒いローブをまとった破壊の従者の姿があった。
「以前から、お前は私に牙を剥いてきたな。誤った信仰を持つ神の従者も消す必要がありそうだ」
「誤ってんのは原初の思いを忘れたお前だよ」
 破壊の従者の言葉を無視するように希望の従者が少し屈むと、瞬時に地面を蹴って宙へと飛び上がった。彼の身体は、鳥が天に舞い上がるかのように軽やかだった。破壊の従者が希望の従者に手を伸ばしたが、それは彼の髪をなびかせたに過ぎなかった。
 二人が同じ高度に達すると、破壊の従者の顔面に希望の従者の拳が叩きつけられる。その衝撃で、破壊の従者は地面へと落下し始め、弾丸のような速度で地面に叩きつけられる。すると、巨大な轟音と、白い砂埃が空に舞い上がる。
 リアムは立ち上がり、急いでその場に近づくと、砂塵の中で半透明になり、倒れている破壊の従者の姿を見つける。この男はリアムの友人の慶次を奪った憎々しい男だが、強大な力を持っていた。その力を知っているリアムの背筋が冷たくなる。
 しかし、ここでリアムが臆するわけにはいかない。彼は空から降りてきた、希望の従者に決意を宿らせた鋭い視線を向ける。それに呼応するように希望の従者がリアムに駆け寄ってこようとするが、突如、その動きを止める。それは、彼の意思ではなく、何者かに動きを支配されているように思えた。
希望の従者の視線はリアムから逸れ、別の方向に移っていた。リアムも希望の従者が注視する方向へ目を向けると、そこにはオリビアと同じ顔を持った、薄い桃色のローブに身を包んだ女性の姿が立っていた。
「慈愛の従者よ。まさか、お前までもが神託に反するつもりか?」
 希望の従者の言葉に、慈愛の従者が俯く。
「信じたかった。でも、あなたの神託は湊の言葉じゃないの。だから、私はこの戦いを止めるの」
 慈愛の従者の言葉に、希望の従者が彼女を鋭い視線で睨みつける。その敵意のある視線の前に、彼女の細い肩が小さく震えているのが見てとれた。彼女を危機に晒せるわけにはいかないと感じリアムは、足に力をいれる。
「あ、あなたは戦いを止めるべきなの」
「私の魂を導くつもりか? なぜ、私の考えを分かってくれない」
 希望の従者の声には淡い悲しみが滲んでいた。その感情は、リアムにも痛いほど理解できた。誰にも共感してもらえない深い悲しみ、そして、苛立ち。しかし、その気持ちを力ずくで押し通すのは許されるべきではない。
 リアムは貯めていた足の力を爆発させるように、希望の従者に向けて駆け寄っていき、動きを止められている彼の顔に渾身の拳を放つ。拳が命中すると、希望の従者は巨大な力で遠くの建物の方へと飛ばされて行く。そして、瞬時に、その地点からは轟音が響き渡った。
 リアムがそちらに視線を向けると、建物には巨大な穴が空いており、まるで地震が発生したように揺れていた。砂埃が大きく舞い上がり、希望の従者の姿を視認できなかった。
 しかし、次第に砂埃が落ち着いてくると、半透明になった希望の従者が、足を震わせながらも立ち上がろうとしていた。リアムにとっては、千載一遇だろう。彼を倒すためにも、リアムは自らの震える足を必死で前に進め始める。
 しかし、突如、慈愛の従者が広げた両手と共に、彼の前に立ちはだかる。その憂いを帯びた美しい顔は、神に仕える者に相応しく思えてくる。
「もう止めて!」
「僕も争いたいとは思わない。ただ、彼は危険すぎる・・・」
「でも、あの人をきずつけて、何になるの?」
 慈愛の従者の瞳からは涙が滲んでいるように見えた。
リアムも思案する。確かに希望の従者は危険な存在ではあるかもしれない。しかし、根っからの悪党とはリアムには思えなかった。もしかすると、対話という選択肢もあるのではないだろうか。そんな期待を胸に秘めながら、リアムが希望の従者に視線を向けると、建物付近で右手を引いている彼の姿があった。
 次の瞬間、小さな音がリアムの耳を打つ。それは何かが人の身体に当たったような不快な音だった。直後、大な白い石が慈愛の従者の足元へ転がる。
 慈愛の従者の身体が透明に染まり出し、ゆっくりと前に倒れて行く。リアムは彼女の身体を受け止めようと手を伸ばすが、別の手が彼より先に彼女を支えた。
 そこには、ローブ姿をした青年が、膝をつきながら彼女を優しく抱き抱えている姿があった。その光景は、あたかも神話の中から飛び出してきたような神々しさを纏っていた。
「・・・神・・・様?」
「魂の回復を・・・」
 神は何かを生み出そうと、手を横に向けるが慈愛の従者がそれを優しく制する。
「・・・いいの。私は消えるべきなの。最後に会えてよかった・・・。神様」
 慈愛の従者の声は涙を堪えるように震えていた。神と呼ばれる男は首を横に振る。
「ぼくは神様なんかじゃなかったよ。最初にそう呼んでくれた人すら救えないどころか、自分勝手に魂の一部を並行世界に・・・」
 神がうなだれる中、慈愛の従者は優しく彼の頭に手を置いた。
「それでも、あなたは・・・。わたしの神・・・様・・・」
 慈愛の従者は瞳を輝かせながら、神の顔に伸ばしてくる。
 慈愛の従者の身体が次第に透明に染まっていく。それを見た、神は彼女を力強く抱きしめた。
「ダメだ! 消えないでくれ!」
「もう、わたしのために・・・。苦しまないで・・・」
 慈愛の従者の姿が優しい笑みと共に次第に薄れて行った。そして、彼女の存在した場所から、光り輝く玉のようなものが残され、遠い彼方へと飛んでいった。
「神託が下った。誤った神の従者と神を処分せよとね」
 リアムがその声の方向に視線を向けると、建物の前に希望の従者が立っていた。彼の手には石が数個握られており、それをリアムたちに向けて放ってくる。
 石は弾丸のように彼らに飛んできたが、突如、透明な箱のようなものがリアムたちを囲み、その進行を妨げる。神はリアムに視線を向けて言葉を紡ぐ。
「リアム。もう、終わりにしよう。ぼくは神なんかじゃない」
 希望の従者は神の瞳を見つめ返す。
「貴方はそうだろう。ただ、私の受ける神託は神からの御言葉なのだ」
 リアムの瞳に決死の覚悟が宿る。彼は拳を固め、走るために前屈みになる。その瞬間、彼の背後から、煌めく光の矢が希望の従者の方向に放たれる。彼は素早く身をひねって、それを避ける。
 リアムが驚愕の表情で振り返ると、銃を構えた神の姿があった。魂の戦いで光線を生み出す銃を作った湊が存在したと聞いていた。それと同様のものだろうか。
「魂の戦いでヒントがあったからね。ぼくがフォローするよ。最後に彼との決別を果たすのは君の役割だ」
 神の言葉にリアムは首を縦に振ると、希望の従者の方へと大きく一歩踏み出した。
 希望の従者が眼前に迫ると、リアムは右腕を大きく振りかぶり、その拳を敵に向けて叩き込む。戦いの疲労が彼を蝕んでいるのか、その一撃は希望の従者の顔に容易に当たった。しかし、彼は歯を食いしばりながら、リアムに向かって強烈な蹴りを放った。リアムはそれを辛うじて腕で受け止めるも、その蹴りの力でバランスを失った。
 希望の従者が追い打ちをかけるように右腕を振りかぶったその瞬間、突如放たれる光の線が彼の方に射し込む。彼はすばやく横に跳び、それをかわした。その間隙を利用して、リアムは素早く体勢を立て直し、彼の腹部に向けて拳を放った。しかし、希望の従者はリアムの手を受け止め、そのまま反撃の拳をリアムの顔に叩きつけてくる。
 リアムはその強列な一撃の影響で後方に大きく吹き飛ばされ、背後の木に衝突する。彼を受け取った木は大きな音を立てつつ、ゆっくりと倒れていく。
 希望の従者は肩で息をしながらも、リアムの方へと歩み寄ってくる。リアムは急いで立ち上がろうとしたが、先ほどの強烈な一撃の影響が、それを許さなかった。
 希望の従者の手が再び、リアムの首を目指して伸びてくる。リアムは瞬時にその手を掴むが、徐々に押されていき、従者の手がリアムの首に迫ってきた。
 希望の従者の手が、リアムの首に僅かなところまで迫ると、突如、その腕の力が抜けて行く。リアムが彼の右胸に視線を向けると、そこには光の槍が刺さっていた。その槍は彼の背中から突き抜け、前方に伸びていた。
 希望の従者の身体が透明に染まり、弱々しく前のめりになっていく。リアムが彼の背後に視線を向けると、そこには這いつくばりながらも、希望の従者に手を向けている破壊の従者の姿があった。
「もう、終わりなんだよ・・・」
 リアムは身体に残る痛みを無視して力を振り絞り、立ち上がる。彼は希望の従者の胸に突き刺さっている槍の切っ先を掴む。そして、自らの手の痛みを無視し、その槍を左に移動させる。希望の従者の右胸から左胸へ、傷跡が一直線にできると、彼身体が、更に透明になり、ゆっくりと前のめりに崩れ落ちていった。
「はぁ、はぁ」
 リアムが肩で息をし、足を引きずりながら希望の顔の近くまで進む。
「・・・神よ。私も誤った従者だったということでしょうか?」
「全てが誤っていたんだ。貴方は神を見ていなかった」
 希望の従者はその言葉に、笑みを浮かべる。それは、初めて見せた彼の本当の笑顔のように思えた。
「私の失った想いを持つ神の子よ。お前なら人々を導けるか?」
 リアムの答えを待たずに、希望の従者の身体が完全に透明になり、やがて姿を消していった。

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