エピソード1

 歴史を感じさせる校舎があった。七十年以上の時を経てもその風格は衰えず、むしろ古き良き時代の趣を放っていた。夕焼けの柔らかな赤が、古びた校舎を照らし、どこか哀愁を漂わせているようにも見える。
 校舎の近く広がる校庭と、いくつもの自転車が停まっている駐輪場。湊はかつてこの場所に毎日のように自転車を置き、オリビアと校舎に向かっていたものである。しかし、時が過ぎるにつれ、次第に湊一人の通学となっていった。
 歴史ある校門の前に、湊、リアム、そして慶次の三人が立っていた。彼らの背中には大通りが広がり、多くの車が走っていた。リアムと慶次とはすぐに連絡が取れ、三人は懐かしの高校で再会を果たした。
「久しぶりだな」
 慶次は思い出に浸るような微笑を顔に浮かべていた。この場所は彼にとっては良い価値ある時間が詰まっているのだろう。しかし、湊の脳裏には、そういった楽しい時間は殆ど存在しなかった。そんな、彼の憂いのある表情に気付いたのか、慶次が視線を向けてくる。
「おいおい、俺と出会った場所じゃねえかよ」
 慶次は軽く湊の肩を叩きながら、明るい口調で言った。だが、湊には得るものよりも、失ったものが多い場所であった。湊の脳裏に美沙の顔が浮かび上がってくる。
「慶次、美沙とは連絡をとっているの?」
 湊の言葉に慶次の顔が曇る。その表情には影があるように思えた。
「オリビアが変わったのはあいつのせいだけじゃねえよ…。どちらかというと、お前だよ」
 湊はその言葉に返答することができなかった。先にオリビアとの世界を離れたのは湊の方だったからだ。それにも関わらず、互いの世界を生きることで変わりゆく彼女を否定し、自らの身勝手を押し付けてしまっていた。
 いつまでも、オリビアは湊だけを見てくれると思っていたが、それは大きな勘違いだった。リアムに責任を押し付けていたが、彼女の神気取りをしていたのは彼自身であった。
「僕だけ蚊帳の外だね。そういえば、オリビアさんは?」
 リアムが苦笑いを浮かべていた。異なる高校の出身である、彼には訳の分からない会話だっただろう。
 湊は深く息を吸い、ズボンのポケットに入っているスマートフォンに手を伸ばす。今のオリビアと向かい合うのは避けては通れないのだ。湊の決心が弱まる前に、彼女の連絡を取ろうと考えたのだ。
「ごめん。ちょっと電話を…」
「君は本当にこれで良かったのかい?」
 リアムの言葉に湊は動きを止めた。
「君は過去ではなく、今を生きる事を決めた。そして、神ではなく、人である事を選んだ。それに対する後悔はないのかな?」
 リアムの言葉に、湊は一瞬考え込んだ。彼は神になどは興味はない。しかし、彼の心の中には、かつての幼い心を持った、あの子への思いが残っていた。
 しかし、その思いに囚われてしまっては、再び歩みを止めることになるだけだ。湊はスマートフォンを取り出し、オリビアに電話を入れることにする。
 スマートフォンからは数度の音がなったが、電話はすぐに接続される。湊の胸の鼓動が高まってくる。
「オリビア。会いたいんだ。出来れば、今日」
「想い出の公園で待っているよ」
 オリビアはそれだけ告げると、電話を切る。湊はすぐに想い出の公園に向かうことを決断する。彼が校舎を背にすると、背後から草薙が湊の肩に手を置く。
「もう、間違えんじゃねえぞ。ただな。間違ったらまた付き合ってやるよ」
 慶次が悪戯な笑みを浮かべると、湊は首を縦に振る。
「僕も待っているよ。君が新たな決断を下す日を」
 リアムが焦点の合わない目を浮かべていた。ただ、今の湊にはそれを気にしている余裕はなかった。足元に疾走の意を込めて、彼は駅へ駆け出した。

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