値札
スーパーの自動ドアが開くたび、冷たい風が流れてくる。
その風だけは昔と変わらない。
変わったのは、値札だった。
「また上がってる…」
小さく漏れた声に誰も反応しない。同じように買い物かごを持った人たちも、値札を見ては静かにため息をつき、何もなかったように歩いていく。
卵。
牛乳。
パン。
野菜。
どれも数年前なら迷わず手に取っていたものだ。
今は違う。
値札を見て、一度棚へ戻し、少し歩いてからもう一度戻ってくる。
その数十円を悩む時間が、日常になってしまった。
隣では、小さな男の子がお菓子を握りしめていた。
「ママ、これ」
母親は笑おうとした。
でも、その笑顔は途中で止まる。
値札を見る。
少し考える。
そして申し訳なさそうに首を横へ振った。
「今日は我慢しようね」
男の子は何も言わなかった。
泣きもしない。
ただ、ゆっくり棚へ戻した。
その姿が妙に大人びて見えて、胸の奥が少し痛くなった。
子どもは空気を読む。
大人が思っている以上に。
だから「欲しい」と言えなくなる。
私はかごの中を見る。
半額シールが貼られた惣菜。
見切り品の野菜。
特売の豆腐。
以前なら「今日は節約しよう」と思って選んでいた。
今は違う。
「これしか選べない」。
そんな日が増えていた。
帰り道。
夕焼けが街を赤く染める。
商店街の八百屋からは、「安いよ!」という威勢のいい声が聞こえる。
昔は活気に聞こえたその声も、今では少し切なく響いた。
安い。
その言葉だけで人が集まる時代になった。
家へ帰ると、古いアルバムが目に入る。
何気なく開く。
そこには、父と母が笑っていた。
外食の写真。
旅行の写真。
誕生日ケーキ。
子どもの私は満面の笑みで、大きなハンバーグを前にピースをしている。
あの頃も裕福ではなかったはずだ。
父は毎日遅くまで働き、母は家計簿とにらめっこをしていた。
きっと苦しかった日もあったのだろう。
でも、写真にはそんな顔は一枚も残っていない。
残っていたのは笑顔だけだった。
その時、母が昔言っていた言葉を思い出した。
「高いものを買うのが幸せじゃないのよ」
「一緒に食べる人がいることが、一番の贅沢」
子どもの頃は意味が分からなかった。
でも今なら少し分かる。
夕飯は、ご飯と味噌汁、それに安くなったコロッケ。
豪華ではない。
それでも、湯気はちゃんと立ち上る。
「いただきます」
誰もいない部屋でそう言う。
少しだけ寂しい。
スマートフォンを見る。
「物価高で生活が苦しい」
そんなニュースが流れ、コメント欄には怒りと不安が並んでいた。
きっと、みんな苦しい。
誰か一人だけじゃない。
明日また値札は変わるかもしれない。
来月には、もっと高くなるかもしれない。
未来は分からない。
それでも、人は今日を生きる。
値札を見て悩み、半額シールを探し、それでも帰れば「いただきます」と手を合わせる。
その姿は決してみじめなんかじゃない。
生活を守ろうとする、小さな戦いだ。
私は冷めかけた味噌汁をもう一口飲んだ。
不思議と、少しだけ温かかった。
物価は今日も上がる。
それでも、人の優しさまで値上がりすることはない。
だから明日もスーパーへ行こう。
値札では測れないものが、この街にはまだ残っていると信じたいから。
その風だけは昔と変わらない。
変わったのは、値札だった。
「また上がってる…」
小さく漏れた声に誰も反応しない。同じように買い物かごを持った人たちも、値札を見ては静かにため息をつき、何もなかったように歩いていく。
卵。
牛乳。
パン。
野菜。
どれも数年前なら迷わず手に取っていたものだ。
今は違う。
値札を見て、一度棚へ戻し、少し歩いてからもう一度戻ってくる。
その数十円を悩む時間が、日常になってしまった。
隣では、小さな男の子がお菓子を握りしめていた。
「ママ、これ」
母親は笑おうとした。
でも、その笑顔は途中で止まる。
値札を見る。
少し考える。
そして申し訳なさそうに首を横へ振った。
「今日は我慢しようね」
男の子は何も言わなかった。
泣きもしない。
ただ、ゆっくり棚へ戻した。
その姿が妙に大人びて見えて、胸の奥が少し痛くなった。
子どもは空気を読む。
大人が思っている以上に。
だから「欲しい」と言えなくなる。
私はかごの中を見る。
半額シールが貼られた惣菜。
見切り品の野菜。
特売の豆腐。
以前なら「今日は節約しよう」と思って選んでいた。
今は違う。
「これしか選べない」。
そんな日が増えていた。
帰り道。
夕焼けが街を赤く染める。
商店街の八百屋からは、「安いよ!」という威勢のいい声が聞こえる。
昔は活気に聞こえたその声も、今では少し切なく響いた。
安い。
その言葉だけで人が集まる時代になった。
家へ帰ると、古いアルバムが目に入る。
何気なく開く。
そこには、父と母が笑っていた。
外食の写真。
旅行の写真。
誕生日ケーキ。
子どもの私は満面の笑みで、大きなハンバーグを前にピースをしている。
あの頃も裕福ではなかったはずだ。
父は毎日遅くまで働き、母は家計簿とにらめっこをしていた。
きっと苦しかった日もあったのだろう。
でも、写真にはそんな顔は一枚も残っていない。
残っていたのは笑顔だけだった。
その時、母が昔言っていた言葉を思い出した。
「高いものを買うのが幸せじゃないのよ」
「一緒に食べる人がいることが、一番の贅沢」
子どもの頃は意味が分からなかった。
でも今なら少し分かる。
夕飯は、ご飯と味噌汁、それに安くなったコロッケ。
豪華ではない。
それでも、湯気はちゃんと立ち上る。
「いただきます」
誰もいない部屋でそう言う。
少しだけ寂しい。
スマートフォンを見る。
「物価高で生活が苦しい」
そんなニュースが流れ、コメント欄には怒りと不安が並んでいた。
きっと、みんな苦しい。
誰か一人だけじゃない。
明日また値札は変わるかもしれない。
来月には、もっと高くなるかもしれない。
未来は分からない。
それでも、人は今日を生きる。
値札を見て悩み、半額シールを探し、それでも帰れば「いただきます」と手を合わせる。
その姿は決してみじめなんかじゃない。
生活を守ろうとする、小さな戦いだ。
私は冷めかけた味噌汁をもう一口飲んだ。
不思議と、少しだけ温かかった。
物価は今日も上がる。
それでも、人の優しさまで値上がりすることはない。
だから明日もスーパーへ行こう。
値札では測れないものが、この街にはまだ残っていると信じたいから。