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夏のクリアランス戦争

「夏のクリアランス戦争」
「全品80%OFF!」
 その赤い文字を見た瞬間、私は悟った。
 今日、この街で最も危険なのは猛暑ではない。
 クリアランスセールだ。
 開店十分前。
 店の前には百人以上が並んでいた。
 誰も喋らない。
 ただ、入口だけを見つめている。
 まるで歴戦の戦士たちだ。
 隣のおばあちゃんは、静かにスニーカーの紐を締め直した。
 前のお父さんは、子どもを肩車して言う。
「目標は冷感シーツ。パパが行くまで動くな。」
 子どもが真剣に頷く。
「了解。」
 何の作戦会議だ。
 店員がマイクを持つ。
「本日はご来店ありがとうございます!」
 全員が前傾姿勢になる。
「走らないでください!」
 全員が頷く。
 そして──
 開店。
 誰一人走っていない。
 だが、全員ものすごく速い。
 歩いているだけなのに、新幹線くらい速い。
 私はTシャツ売り場へ向かった。
 残り一枚。
「やった!」
 そう思った瞬間。
 反対側から、同じTシャツに手が伸びた。
 目が合う。
 相手は、七十代くらいのおじいさんだった。
 静かな沈黙。
「……どうぞ。」
 私は譲ろうとした。
 すると、おじいさんは首を振る。
「若い人が着なさい。」
「いえ、お父さんに買おうと思って。」
「そうか。」
 おじいさんは笑った。
「実は、わしも息子に。」
 二人とも、しばらく黙る。
 その時だった。
 店員さんが奥から叫んだ。
「すみませーん! 在庫ありました!」
 二人同時に振り返る。
「「あるんかーい!」」
 周りのお客さんまで笑い出した。
 結局、おじいさんとはレジまで一緒だった。
 帰り際、おじいさんが袋を持ち上げる。
「今日は勝ったな。」
 私は中を見る。
 予定になかったクッション。
 サンダル。
 マグカップ。
 謎のアロマ。
 観葉植物。
 そして巨大なぬいぐるみ。
 ……なぜ買った。
 レシートを見る。
「合計 48,320円」
 割引額。
「56,870円」
 私は誇らしげにレシートを見せた。
「五万円以上得した!」
 隣にいた妻が静かに言う。
「でも、四万八千円使ってるよ?」
 私は固まった。
 しばらく考えてから、小さく頷く。
「……夏って、判断力もセールになるんだね。」
 その夏、一番安くなっていたのは。
 財布ではなく、私の理性だった。

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