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いつもの朝が終わった日

「今日は暑いね。」
 エアコンの効いたコンビニで、私はアイスコーヒーを受け取った。
 二十四歳。
 都内のデザイン会社で働く、ごく普通の会社員。
 スマホを見れば、芸能ニュースとセール情報。
 駅へ向かえば、学生たちが笑いながら歩いている。
「今日も平和だな。」
 そう思っていた。
 その十分後だった。
 スマホから聞いたことのない警報音が鳴り響く。
「緊急警報。直ちに避難してください。」
 画面には見慣れない文字が並んでいた。
『首都圏に対する武力攻撃の可能性』
 誰も動かなかった。
 駅前のスクリーンも同じ映像を流している。
「誤報でしょ?」
「訓練じゃない?」
 笑う人もいた。
 その時。
 遠くで、地面が揺れた。
 ドン──。
 雷ではない。
 腹の底まで響く衝撃だった。
 次の瞬間。
 窓ガラスが一斉に震える。
 誰かが叫んだ。
「煙!」
 高層ビルの向こう側から、黒煙が空へ伸びていた。
 ようやく人々が走り始める。
 泣く子ども。
 電話をかけ続ける会社員。
 信号は止まり、電車も止まった。
 私は母へ電話をかける。
『現在、大変混み合っています。』
 何度かけても同じだった。
 電波は生きている。
 でも、人が多すぎて繋がらない。
 SNSを見る。
「○○駅が閉鎖」
「デマだから安心して」
「いや、本当に爆発した」
 情報が洪水のように流れる。
 何が本当か分からない。
 私は避難所になっている小学校へ向かった。
 体育館には、すでに何百人もの人がいた。
 知らない人同士が場所を譲り合っている。
「ここ空いてますよ。」
「ありがとうございます。」
 数時間前まで赤の他人だった人たちが、一つの毛布を分け合っていた。
 夜になった。
 電気はつかない。
 エアコンもない。
 静かな体育館に、小さなラジオだけが流れている。
「政府は国民に冷静な行動を呼びかけています。」
 冷静。
 その言葉が、ひどく遠く感じた。
 私はようやく母と連絡が取れた。
『無事?』
 その一言を見た瞬間、涙があふれた。
「無事だよ。」
 たった四文字を送るだけで、こんなにも安心するなんて思わなかった。
 翌朝。
 避難所には炊き出しが始まっていた。
 近所のパン屋がパンを持ってきた。
 八百屋が野菜を運んできた。
 自衛隊や消防、警察が休むことなく動いている。
 医師も看護師も、疲れた顔で笑っていた。
「次の方どうぞ。」
 世界が壊れそうな日なのに。
 人だけは壊れていなかった。
 数日後。
 街へ戻る。
 割れた窓。
 崩れた建物。
 止まった信号。
 いつも行列だったラーメン屋も閉まっている。
 でも、その隣では店主が大鍋でスープを作り、無料で配っていた。
「食べていきな。」
「お金は?」
「今はいいよ。」
 誰かが笑う。
 誰かが泣く。
 誰かが瓦礫を運ぶ。
 その姿を見て思った。
 戦争は、一瞬で街を壊せる。
 だけど。
 人の優しさまでは壊せない。
 一か月後。
 少しずつコンビニが開き始めた。
 電車も一部が動き出した。
 朝の満員電車に揺られながら、私はふと笑ってしまう。
 以前なら、この混雑にため息をついていた。
 でも今は違う。
 隣でスマホを見ている人。
 居眠りしている学生。
 新聞を読むおじいさん。
 それぞれが、いつも通りの日常を生きている。
 それが、どれほど奇跡だったのかを知ってしまったから。
 会社へ着くと、同僚が笑った。
「おはよう。」
 私は少しだけ目を潤ませながら答える。
「……おはよう。」
 その一言が、こんなにも尊い言葉だったなんて。
 誰も教えてくれなかった。
 戦争は、映画のように英雄だけが戦う物語ではない。
 スーパーへ行けること。
 家族へ電話できること。
 友達と笑えること。
「おはよう」と言える朝が来ること。
 本当に守るべきものは、そんな何気ない日常だったのだ。
 だから私は今日も、少し混んだ電車に揺られながら思う。
「退屈だ」と感じられる平和ほど、贅沢なものはない。

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