おかえり
雨の日だった。
インターホンが鳴る。
玄関を開けると、一匹の犬が座っていた。
白い毛並み。
少し垂れた耳。
首輪はない。
野良犬だろうか。
「……迷子か?」
犬は何も吠えない。
ただ、じっとこちらを見ている。
その目を見た瞬間、胸がざわついた。
似ている。
十年前に死んだ愛犬、ハルに。
「そんなわけないか」
苦笑してドアを閉めた。
翌朝。
犬はまだいた。
仕事から帰ってもいた。
三日後も。
一週間後も。
近所のおばあさんが言う。
「この子、人を待ってるみたいね」
「誰をですか」
「さあね。でも、ずっとここよ」
仕方なく水だけ置く。
犬は嬉しそうにもせず、静かに飲んだ。
餌も置く。
食べ終わると、また玄関の前へ戻る。
家へ入ろうとはしない。
ある日。
写真立てを掃除していた。
そこにはハル。
十年前。
病気で亡くなった。
最後の日。
仕事が忙しくて、最期に立ち会えなかった。
「ごめんな」
その言葉だけは、今も言えずにいた。
夜。
玄関を見る。
犬がいる。
写真を見る。
また犬を見る。
「……似すぎなんだよ」
思わず声が漏れた。
犬は静かに尻尾を振った。
その瞬間だけ、本当にハルが笑ったように見えた。
「違う」
首を振る。
「ハルじゃない」
そう言い聞かせる。
「ハルだったら困る」
「また失うのは嫌だから」
犬は何も言わない。
ただ、毎日そこにいた。
秋になった。
冬になった。
雪が降る。
さすがに放っておけず、毛布を置いた。
犬はその上で丸くなる。
春。
散歩へ誘ってみた。
犬は嬉しそうについてくる。
初めてだった。
一年近く一緒にいて、初めて玄関から離れた。
桜並木を歩く。
犬は途中で立ち止まった。
ある一本の桜の下。
そこはハルと毎年写真を撮っていた場所だった。
胸が締めつけられる。
「……なんで知ってる」
犬は座った。
空を見上げる。
風が吹く。
桜が舞う。
その時だった。
犬がゆっくり立ち上がる。
一度だけ振り返る。
優しく笑ったように見えた。
そして。
歩いていく。
「おい」
追いかける。
角を曲がる。
いない。
どこにも。
名前を呼ぶ。
返事はない。
家へ戻ると、玄関に一枚の古い写真が落ちていた。
風で飛んだのだろう。
若い頃の自分とハル。
写真の裏には、自分が昔書いた文字。
『最期まで一緒にいる。』
思わず笑った。
「約束、破ったのは俺だったな」
涙が落ちる。
その夜。
夢を見た。
広い草原だった。
ハルが走ってくる。
昔と同じ勢いで飛びついてくる。
何も言わない。
ただ、顔を舐める。
目が覚める。
朝日が差していた。
玄関にはもう犬はいない。
それでも、不思議と寂しくはなかった。
別れに来たんじゃない。
許しに来てくれたんだ。
そう思えたから。
それ以来、毎年桜が咲くたび、あの場所を歩く。
もちろん、あの犬には二度と会えない。
でも風が吹くたび、少しだけリードが引っ張られる気がする。
だから私は笑って言う。
「ただいま」
すると、どこか遠くで。
「おかえり」
そんな尻尾の音が、聞こえた気がした。
インターホンが鳴る。
玄関を開けると、一匹の犬が座っていた。
白い毛並み。
少し垂れた耳。
首輪はない。
野良犬だろうか。
「……迷子か?」
犬は何も吠えない。
ただ、じっとこちらを見ている。
その目を見た瞬間、胸がざわついた。
似ている。
十年前に死んだ愛犬、ハルに。
「そんなわけないか」
苦笑してドアを閉めた。
翌朝。
犬はまだいた。
仕事から帰ってもいた。
三日後も。
一週間後も。
近所のおばあさんが言う。
「この子、人を待ってるみたいね」
「誰をですか」
「さあね。でも、ずっとここよ」
仕方なく水だけ置く。
犬は嬉しそうにもせず、静かに飲んだ。
餌も置く。
食べ終わると、また玄関の前へ戻る。
家へ入ろうとはしない。
ある日。
写真立てを掃除していた。
そこにはハル。
十年前。
病気で亡くなった。
最後の日。
仕事が忙しくて、最期に立ち会えなかった。
「ごめんな」
その言葉だけは、今も言えずにいた。
夜。
玄関を見る。
犬がいる。
写真を見る。
また犬を見る。
「……似すぎなんだよ」
思わず声が漏れた。
犬は静かに尻尾を振った。
その瞬間だけ、本当にハルが笑ったように見えた。
「違う」
首を振る。
「ハルじゃない」
そう言い聞かせる。
「ハルだったら困る」
「また失うのは嫌だから」
犬は何も言わない。
ただ、毎日そこにいた。
秋になった。
冬になった。
雪が降る。
さすがに放っておけず、毛布を置いた。
犬はその上で丸くなる。
春。
散歩へ誘ってみた。
犬は嬉しそうについてくる。
初めてだった。
一年近く一緒にいて、初めて玄関から離れた。
桜並木を歩く。
犬は途中で立ち止まった。
ある一本の桜の下。
そこはハルと毎年写真を撮っていた場所だった。
胸が締めつけられる。
「……なんで知ってる」
犬は座った。
空を見上げる。
風が吹く。
桜が舞う。
その時だった。
犬がゆっくり立ち上がる。
一度だけ振り返る。
優しく笑ったように見えた。
そして。
歩いていく。
「おい」
追いかける。
角を曲がる。
いない。
どこにも。
名前を呼ぶ。
返事はない。
家へ戻ると、玄関に一枚の古い写真が落ちていた。
風で飛んだのだろう。
若い頃の自分とハル。
写真の裏には、自分が昔書いた文字。
『最期まで一緒にいる。』
思わず笑った。
「約束、破ったのは俺だったな」
涙が落ちる。
その夜。
夢を見た。
広い草原だった。
ハルが走ってくる。
昔と同じ勢いで飛びついてくる。
何も言わない。
ただ、顔を舐める。
目が覚める。
朝日が差していた。
玄関にはもう犬はいない。
それでも、不思議と寂しくはなかった。
別れに来たんじゃない。
許しに来てくれたんだ。
そう思えたから。
それ以来、毎年桜が咲くたび、あの場所を歩く。
もちろん、あの犬には二度と会えない。
でも風が吹くたび、少しだけリードが引っ張られる気がする。
だから私は笑って言う。
「ただいま」
すると、どこか遠くで。
「おかえり」
そんな尻尾の音が、聞こえた気がした。