破滅の序曲

 山奥の中に無機質だが、大きな建物があった。建物には大きく「神楽研究所」と書かれていた。
 そこの駐車場にタイヤの無い車が一台止まり、そこから、颯真とリーナが出てくる。
 リーナはこの場所に来るのに乗り気ではなかった。どんな研究をしているかは具体的には分からないが、神楽の概要を聞いた限りでは、好ましく無い研究に思えた。
 ただ、リーナも明確には反対ができなかった。颯真は自らの収入に悩んでもいたからだ。そのことで、リーナに苦労をかけていると思っているのだ。彼女としては別に気にもしていないのだが、その問題が解決するのであれば、彼も気が楽になるのでは無いだろうか。
 それで神楽に連絡を取り、彼に研究所に招かれたのだ。
「本当に研究に参加するつもりなの?」
「うん。フリーエネルギーの研究を続けるにしても機材に限界があるし、完成させてもそれを広めることが出来ないしね。これじゃ、人の役に立てない」
 颯真が笑みを浮かべる。それも事実なのだろう。自宅の設備では彼の研究は限界が来ていた。しかし、気になるのが動物の品種改良に興味を持っている事である。彼の一番の関心ごとはそこなのでは無いかと感じてしまうことがある。しかし、リーナはそれを否定していた。彼の倫理観は自身と同じもののはずなのだ。
 少しすると、目の前にある建物の扉が開く。そして、そこからは、神楽と赤い長い髪をし、眼鏡をかけた三十代前後の女性の二人が現れる。女性は白衣の様な服を着ていた。
「やあ、よく来てくれました」
「神楽さん、お招きありがとう。それで、そちらの女性は?」
「木村牡丹です。この研究所の研究チームの総括者ですよ。若いのに優秀な人ですよ」
「しょ、所長。本名ではなく、ダリアでお願いしますぅ」
 牡丹という女性は意味のわからないことを言い出す。
「この人が颯真さんと言う方ですかぁ? 聞いたこと無いですけど、本当に優秀な方なんですか? 何か冴えないし」
 牡丹の言葉にリーナは苛立ちを覚える。この女性に颯真の良さが理解出来ないだけであろう。
「はは、まあ、只の貧乏学者ですよ」
 颯真が牡丹に答えたが、彼女は興味なさそうな視線を向けて来ていた。
「まあまあ、とりあえず、研究所に入ってください」
 神楽と牡丹の先導に従い、リーナと颯真は研究所の中に入る。
 中に入ると、そこには白い壁に囲まれた、広い空間が広がっていた。複数人の警備員の様な人間がおり、真ん中には受付のような場所に女性が一人いた。
 リーナ達は、神楽の先導の元、受付の横をすり抜けるように歩いていく。セキュリティが何も生きていない様に思えたが、彼の体内にあるIDチップで識別しているのだろうか。
 IDとは昔の戸籍のようなものだ。生まれた者は全て登録され、身体に識別のチップを埋め込まれる。管理されている様で、リーナは好きになれなかったが便利である事実は否定できない。料金の決済、こういった認証、全てが簡易で正確に行うことができる。
 しばらく、四人が歩いていたが、何人かの人とすれ違っただけで、壁に何個かの扉が存在しているくらいで、目新しいものは無かった。
 また、少しの間歩くと、大きな扉の前に着く。そこに、神楽が近づくと、扉は自動的に開く。
 四人が扉の中に入ると、そこは、木々と花々が広がっていた。建物の中なのに、まるで外に出た様に錯覚してしまう程だ。
 しかし、目を引くのはそこではない。不思議な生物が何匹も存在していたのだ。羽を持った小さな妖精や、ユニコーンの様な馬が存在していた。ロボットか何かで作っているのだろうが、中々、幻想的な風景である。颯真も驚いた様な表情をしていた。
「ロボットの研究か何かしてるの?」
「いえ、ロボットじゃないですよ。遺伝子工学で生み出した生物達です。私達はスプライトと呼んでいます」
 リーナも遺伝子工学は聞いた事があった。しかし、それらの技術は病的なものを改善するゲノム編集など、その程度のものしか許されていない。全く新たな生き物を生み出してしまうなど、倫理的に可能なものなのだろうか。
 しかし、可能かどうかの問題では無い。これは、動物の品種改良なんて枠を大きく超えている。神の領域を犯す行為だと言える。
「生物なのか・・・」
 颯真が驚きの声と同時に、どこか口元の口角が上がっている様に思えた。まるで、自らの望んでいたものを見つけた様な表情である。
「ただね。彼らには意志がないのですよ。ただ、単純な動作しかできないし、当然、言葉も話せない。これじゃペットとしてつまらないのでね」
 神楽の言葉はリーナにとっては不快であった。生物をまるで物の様に扱っている様にしか思えなかったからだ。
「倫理的に平気なのかい? お許しが出るのであれば、興味があるよ」
 颯真は興奮している様に思えた。リーナが持つ感想とは違うものを彼は持っているのだろう。リーナは我慢できなくなってくる。
「颯真、これはダメよ。命への冒涜だわ」
 リーナの言葉に反応する様に颯真がこちらに視線を向けて、怪訝な顔をする。
「ゲノム編集なんて、今の時代では医療でも使われているよ」
「それは治療のためでしょ。これは、存在を別のものに変えてしまっているわ。命なのよ。軽々しく変えていいものじゃない」
 リーナとしてはここは譲れなかった。こんな研究に颯真を酸化させるわけにはいかない。彼女に権限があるのであれば、研究自体を潰したい程の嫌悪感があったのだ。神楽が二人の様子を嬉しそうな表情で見つめる。
「リーナ。生物は進化してきたんだ。これは、それを大きく前進させるものなんだ。・・・それに魔法に使える」
「魔法に使えるって・・・。それが貴方の本音なの?」
「分かってくれ。魔法があれば、全てが解決するかもしれないんだ」
「解決って、何を?」
 リーナの言葉を聞き、颯真が苦しそうな表情をする。解決とは何を指すのだろうか。フリーエネルギーがあれば、エネルギー問題は解決するが、それは魔法とは関係がない。
 颯真はリーナから視線を外し、神楽の方に向き直す。
「是非、参加させてもらいたい」
「ええ、そうですか。・・・それでは、いつから参加できますか? もちろん、様々な事で貴方の力をお貸しいただきたい」
 神楽が笑みを浮かべる。
「ただ、条件がある。人型のスプライトは作らないようにしてくれ。そこは、俺の倫理の限界を超えている」
「分かりました。そこには私も賛成です。人を生み出すなんて畏れ多い」
 神楽がそう言うと、二人は握手をする。

目次